願い

昨日は中学生の頃から大好きなさだまさしさんのコンサートに行ってきました。抗がん剤が終わったら自分への快気祝いに行こうと思っていたのがコロナでずっと流れてしまっていたのでとてもうれしかったです。

久しぶりにさださんの歌を生で聞いていて感じたのは、さださんは歌でもトークでも会場の一番後ろまで「届けて」いるのだなあということです。

パントマイムをやっていたので、「気持ちを込めた表現が必ずしも伝わるとは限らない」ということは感じてはいましたが、じゃあ伝えるものが何もなくて身体だけがきっちり動いてれば興味が持てるかといえばそうでもない。

昨日さださんのコンサートで感じたのは、「願い」とか「想い」というのは空間的なもので、そこに包まれるとじわっと届いてくるのだということ。

そして「願い」や「想い」は「思想」とは別の層にあって、身体的なものなんだろうなという気がします。もしかしたら身体化した「願い」や「想い」を「まごころ」というのかもしれないな。

素敵な時間だったなあ…。

ちなみに写真はグッズの、浅田飴ならぬ、「あ、さだ飴」です。




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