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4月, 2022の投稿を表示しています

つながり

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水が美味しいなあとか、犬が可愛いなあとか、お天気が良くて気持ちがいいなあとか、そういうことって何でもないようなことだけれど、でもそれを感じられなくなってしまう時もあります。 世界との間に膜が張っているようで、新鮮さ、リアリティのようなものにうまく触れられない。なんとなく視野が色彩を欠いて、立体感が感じられない。言葉が空回りしているような感じがしたり。 自分の周りの環境を整えていくことももちろん大切だけれど、それと同時に環境の中にある自分に力を与えてくれるようなものたちを感じられること、それとつながりを持てるということもとても大切なことかもしれません。 生きてゆくためのエネルギーって案外そういうところからくるのかもしれず、そことつながれる力は「健全さ」の根っこにあるものなのかもしれないなと思いました。

飽きるという力

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古武術でもyieldでも、先生方が「飽きる」という感覚を大事にされているのをとても興味深く感じてきました。 飽き性とか飽きっぽいとかいう言葉はあまりいいニュアンスでは使われないし、「飽きる」ということ自体もあまり良いイメージがないように思います。 でも、「飽きる」=「興味を失う」という感覚に従えるという事は「次の興味に移ってゆける力」「流れに乗っていける力」でもあるのかもしれません。 「いつも同じパフォーマンスを出さなければならない」という思いこみを手放して、季節の変化やお天気を楽しむように自分の変化を楽しんでみるのもまた良いものです。

地続き

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  寒暖の差の激しさからか、世情の不安定さからか、少し気分が冴えないなあという感じがしています。 元々周囲の環境に波長が合いやすい性質、というのもあるのかもしれません。 でもそれは悪いことばかりでもなくて、だからこそ自分も周囲も両方心地よい環境にしていきたいなと思う事ができる。 怒りや悲しみを抱えた人に囲まれれば自分もそっちに引っ張られて快適ではなくなるので、焼き畑農業的に利益を上げたいとは思わない。 最近、地球環境であれ、社会環境であれ、「私の心身」という環境と地続きに存在しているという感覚は今の時代に必要とされるものではないのだろうか、という事を思ったりします。 それと同時に、明るく穏やかな方へ周りを引っ張ってゆけるような自分の軸を育てることも大切だなあと感じます。 今はどんなことが心に入ってきやすいのか。 どんな人からだと学びやすいのか。 冴えない時間も自己調整を試みて良い時間にしたいものです。

自信の根っこ

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「正しい動き」「正しい姿勢」ということについて時々考えます。 姿勢というのは痛みや制限の原因になることもあるし、意識の状態と結びついていたりもします。だから、状況への適応を考えたときには「こういう姿勢の方が望ましい」という方向性はあると思います。 でもそれは固定化されたものではないのではないのではないかと思います。 私は帝王切開を2回しています。術後のお腹にダメージがある状態でどうやってベッドから起き上がるか、試行錯誤してみたら傷がふさがってなくても意外といけるという事が分かりました。起こる痛みを耐えられる範囲に収めるように体の動きや姿勢の方を工夫してゆけばよい。回復してきたらそれに合わせて姿勢や動きをよりトータルの負担の少ない姿勢に(腹部を庇うと前かがみになるので、背中や肩に負担がくる)移行してゆく。 あたりまえだけれど、こういう時に「背筋を伸ばして…」とかいう、外的な基準に合わせることはできないし、やればデメリットがあるでしょう。 固定化した正しさではなく「状況に合わせられる」ということが大切で、それには「固定化した身構えを解く」「ゆだねる動きを引き出す」ということが有効です。 身体を動ける状態にしたうえで、身体自身が選ぶバランスを眺めてみる。 自分の身体をコントロールすることから一歩引いて、身体の選択を認めてやる。 この態度の中には「自信」の根っこになるようなものも含まれているかもしれません。 yieldのセッションをどうぞ試してみてください。