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3月, 2022の投稿を表示しています

雪どけ

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生きていると色々とややこしい物事を抱えてしまう事があります。 けれど、それを解いてゆくための場としての身体がある。 そんな身体が開いたとき、ほどけてゆくものたちが流れをつくって私を運んでいっているように感じています。 春になって雪が溶け、小さなせせらぎがうまれるように。 きらきらと輝くその流れは、いずれ海に向かうのかもしれないなあ。

世界との関係性を学びなおす

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「私」というのはいつも決まった人間のようでいて、そうではありません。 「妻」であったり「母」であったり「友人」であったり「子」であったり、相手との関係性によって全く違う様相を現します。 日常的な意味合いでの人間関係では、関係性から身体感覚なり適切な距離や位置関係が決まってくると思いますが、yieldでは逆に間合いや身体感覚、共鳴を使って「ゆだねる動き」が現れるような関係性に入っていっているのではないかと思っています。 私自身がyieldのセッションを受けながら体験してきた事から思うのですが、「誰かといて深く安らぐ」という経験が少ないと、他者に対しても世界に対しても身構えた状態になってしまいがちです。 身構え続ける事はエネルギーを消費するし、その状態がデフォルトになってしまうと休息の質が下がって、眠っても疲れが取れなかったり、ちょっと動いただけで疲れてしまう、という状態になってしまう事もあります。 身体に「深く安らぐ」という状態を体験させてやると、身体は少しずつ、深く休息することや、過剰な身構えをせずに世界と関わる事を思い出してゆくのだと思います。 深く休息が取れれば身体は自ずと整う方向に向かいます。 そして、世界との関係性が変化したときにどんな風景が見えるのか。感じてみて頂けたらなあと思います。

遠隔セッションご感想⑤

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 遠隔での3回シリーズ、最終回のご感想です。 緊張状態や疲労が続くと、回復に向かうための切り替えをするエネルギーがなくなってしまうという事は私自身にも経験があります。 身体が落ち着いてくると状況を切り替える力も自然と回復してきますね。 ご感想 『先日もありがとうございました☺️ 先日もまた完全に寝てしまって感想が言えなくてほんと毎度申し訳ないです。 寝るまでは目つぶって黄色い光がくるくるしてるのを見ながら、子供の頃こういうの眠るまでよく見てたなぁと思ってましたが、、その後爆睡です。 寝たまま、なんか地震の夢を見て、そのあと本物の地震で目が覚めて混乱したのでした。 でもなんか夢って、遡って作ってるみたいな話も聞いたことあるので、地震体感してから地震の夢見たことにしてる、のかもしれません 身体がどうなったというのは言えないんだけど、おかげさまで気分は本当に持ち直してます。本当にお陰さまと思ってます。なんか疲れ過ぎると、子どもがせっかく昼寝してるのに、やることばかり浮かんじゃって、何よりも自分も休まないとまずいという判断ができなくなってたので、先週何ヶ月かぶりに一緒に昼寝ができて、昼寝するとメンタルも回復するんだなぁって😅 本当にありがとうございました😊』

遠隔セッションご感想④

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1歳のお子さんの育児中という事で、通話してでつながりを作ってから電話を切って行う遠隔セッションをさせて頂きました。 やり方によってできる範囲は異なりますが、身を委ねて深い休息ができる身体を引き出す事は共通しています。タッチが使える対面、姿勢や動きの指定ができるzoom、そのまま休息を取る事ができる遠隔。 状況に応じて使い分けていただけると良いと思います。 以下ご感想 『施術について。遠隔とのことで、電話を繋げたまま仰向けになってしばらく何かを感じようとしたけれど、変わったことはなく…、ただなんとなく、お腹の中身が背中からお腹方面に向かって吹き上げるような、ぐるぐると回転しているようなイメージが浮かんできました。 でも、いいや感受性が高い振りはやめよう、無で受けようと思ったら、その後すぐ寝てしまったようです。気がついた時は、施術を終わります、とラインをいただいてから20分ほどたっていました。 起き上がると癖になっている、いかり肩が自然と力が抜けて下に降りているのがわかりました。 その日は気持ちが少し落ち着いた感じで眠りにつけました。 翌朝は子どもに起こされて4時起床でしたが… (笑)でも気持ちに余裕をもって受け止められました。 馬渕さんの施術を受けたいと思ったのが、こういう子供が生まれてから続いている寝不足、疲労、恥ずかしながらそこからくるイライラ、そんな自分への嫌悪…負のループをなんとかしたい、身体と精神の調子を整えたいと感じたのがきっかけです。 そして施術を受けて、気持ちがリセットできたのが一番大きかったです。馬渕さんの穏やかな人柄も寄与してくれているような気がします。 今回は3回セットの1回目なので、この次は何か変化を感じられるか、楽しめたらなと思っています。 どうもありがとうございました。』

触れることから学んだこと

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「触れる」ということはとても奥が深いものだなあと思います。 セッションをしていると変化が起こりやすいタッチの質というのがあるように感じるのですが、それは手の感覚ということだけではなくて、もっと全体で起こっていることのように思われます。 それは「尊重」とか「大切にする」とか「尊いものとして扱う」というようなニュアンスの質感なのですが、じゃあそういう意識で触れたらそういうタッチになるのかというと、そうでもない。そういう身体の状態になっていて、それを知覚している、という感じです。 逆に、私はセッションをしたり受けたりする中で「大切にするということや、大切にされるということはこういうことなのか」と身体感覚を通して深く理解したように思います。 頭で理解する「大切にする」は、「私」と「大切」の間に距離がありますが、経験や体感として知るとき「大切」と自分はひとつという感じがします。 一体化しているから意識の上では気が付きにくいこともあるかもしれないし、セッションを受ければ即体験になるかというとそうでもないところもあるかもしれませんが、言葉を使わないアプローチでしか入っていけない風景というものがある。 「ゆだねる」でも「平和」でも、言葉ではなく身体感覚として感じていただくことで、生活の中で現れる異なる多様な文脈の中でもそれを使いこなしてゆくことができるようになるのではないかと思っています。

ひき潮

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熱を出したとき、うとうとと眠って、ひと眠りごとに自分の身体の力が癒えて満ちていく、あの感覚が好きです。春の芽吹きのような風景。 健全さというのは、安定していて快適な「状態」にあるのではなく、快適に向かう自分の身体の「欲求」や「流れ」の中にある、「力」「働き」なのだなあと思います。 でもよく考えるとバイオリズムは快適に向かう時もあれば逆に不調に向かってゆくこともある。潮の満ち引きのようにそのリズムを繰り返しながら、少しづつ死に向かってゆくのが生命。 では不調に向かうとき、潮が引いてゆくとき、老いて死に向かう流れには意味がないのだろうか?ということを少し考えていました。 もちろん、満ちるために引くのだということもできる。 でも、それだけじゃないのかもしれない。 引くときというのは、少ない力で物事を成し遂げるための「知恵」であったり、自分の弱さを許し、譲って次の世代を育てていくような「成熟」を身に着けるための時間なんじゃないかという気がします。 老いや病は単に若さや力を失う事ではない。 健康とは何か、良く生きるというのはどういうことなんだろう?考えていくと、その根底には起きている物事にどのように向き合うのかという「世界に対する構え」があるように思えてなりません。 yieldでご提供している「ゆだねる動き」というのは、この「構え」に対するひとつのアプローチとなり得るものだと思っています。 1 13