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流れてゆく風景

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床の上を転がったり、這いずったり。 横向きになって身体を伸ばしたり丸まったりしていたら、不意に膝をおでこに近づけたくなりました。その姿勢をとってみたら両手で頭を抱えてみたくなった。 最初は胎児かな?と思ったけれど、頭を抱えてみたら何人もの人に蹴飛ばされながらなんとか身を守ろうとしているようなイメージが出てきました。 ぎゅっと身を固くしてお腹の奥の方から出てきた感覚に身を任せて少し涙を流して。 気が済んだら身を解いて動いているうちに眠ってしまったよう。 翌朝また少し転がってみたら、今度は海に身をゆだねたときの深い安心と喜びの感覚が出てきました。 パントマイムを稽古していた頃もこういう風に身体から色々なイメージが出てくるのを眺めるのが面白くて好きだった。 身体に残っているものはいつかの私の心象風景かもしれないし、どこかで見た小説や映画の記憶かもしれないし、トラウマ的な何かなのかもしれない。 ただ眺めて、消えてゆくのを見送る。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

自分なりの

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  私自身も含めて、多くの人は教育システムの中で「自分なりの感じ方、自分なりの視点をベースにものを考える」ということに制限を身につけてしまっているのだと思います。 「正しい、正しくない」という判断軸そのものすらひとつの見方で、そこから外れてものを感じたり考えたりすること は、困難なこと。 一見そうじゃないように見えて、「自分なりの感性で考えなさい」という師匠の顔色を伺いながら、師匠にとっての正解を探してしまうという罠まで(私は結構長いことコレをやったし、今も自分がそこから抜け切れたとは思っていない)ある始末。 古武術の山口潤先生 @cokalab の一人稽古は そこから抜け出して自分の感性に基づいた思考を始めることを学ぶ大切な場でした。 山口先生はじめ、姉弟子・兄弟子の自由過ぎる感性、そして組織的なヒエラルキーを捨てて自分の興味をひたすら追いかけていく稽古の姿に共鳴して今の私の探求姿勢は出来上がっています。 「稽古を共有するからには共同研究者です」と対等な場を作り育ててくださった山口先生に、尊敬の念を感じています。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

体現と学び

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直接会って佇まいに触れる事ほど深い学びはないし、何かを体現している人は一緒にいるだけでも強い共鳴が起こって学ばせていただけるものがあると感じます。 だから強い興味を持ったら、本を読むだけじゃなく会いにいくと良いのではないでしょうか。いつまでもその人が生きてるとは限らないんだし。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

自信の根っこ

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「正しい動き」「正しい姿勢」ということについて時々考えます。 姿勢というのは痛みや制限の原因になることもあるし、意識の状態と結びついていたりもします。だから、状況への適応を考えたときには「こういう姿勢の方が望ましい」という方向性はあると思います。 でもそれは固定化されたものではないのではないのではないかと思います。 私は帝王切開を2回しています。術後のお腹にダメージがある状態でどうやってベッドから起き上がるか、試行錯誤してみたら傷がふさがってなくても意外といけるという事が分かりました。起こる痛みを耐えられる範囲に収めるように体の動きや姿勢の方を工夫してゆけばよい。回復してきたらそれに合わせて姿勢や動きをよりトータルの負担の少ない姿勢に(腹部を庇うと前かがみになるので、背中や肩に負担がくる)移行してゆく。 あたりまえだけれど、こういう時に「背筋を伸ばして…」とかいう、外的な基準に合わせることはできないし、やればデメリットがあるでしょう。 固定化した正しさではなく「状況に合わせられる」ということが大切で、それには「固定化した身構えを解く」「ゆだねる動きを引き出す」ということが有効です。 身体を動ける状態にしたうえで、身体自身が選ぶバランスを眺めてみる。 自分の身体をコントロールすることから一歩引いて、身体の選択を認めてやる。 この態度の中には「自信」の根っこになるようなものも含まれているかもしれません。 セッションをどうぞ試してみてください。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue