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12月, 2022の投稿を表示しています

体験記13

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  半年ちょっと前にyieldのセッションをお受けくださったアーティストの方から、ご感想をいただきました。 以下、ご許可いただいて転載します。 『横になった私の向こう側に馬渕さんがいて、そこから私に問いかけてくる。 ただそこにいると言うだけのことを、一生懸命感じようとしてみる。 すると、何もない真っ暗なところに小さな感情の粒が落ちているのがわかる。 それをよくよく見ていると、いつしかその中に私はいて、ささやかな気持ちの粒をダイナミックに体で感じることができた。 私にとって、それは尖っていたり、濡れていたり、緑に輝く光の世界だったりした。 そしてそれは、明らかに私と馬渕さんとの関係から生まれた感情。 二人の距離感が生み出した結晶。 その結晶は、他のいろいろな人とにも、動物や、無機質な物との間とにも、生まれてくることを感じた。 一粒づつは見えないほどに小さいけれど、それらの粒が砂絵のように、風に吹かれながら、色々な風景を描き出しているのを思い出した。 時とともに変化する自分の姿を生み出しているのだと感じた。 反対にこの風景を感じながら意図的に対象との距離を選択していくこともできるだろう。 距離は長さだけではなく、方角や、湿度や、光の当たり具合など、色々なものに影響を受ける。 色とりどりの情報に惑わされずに、心を研ぎ澄ませて、自分の中、また、相手との「あわい」をよく見れば、自分の本当にいるべき場所、本当に行きたい場所がわかるだろうと思った。』 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

コントロールと介入

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  yieldのセッションでは介入を最小限にして受け手の方の内発的な変化を大切にしています。 関西のWSに参加してくださった方からの「コントロールと介入」というお話についてお答えして改めて思ったのだけれど「コントロールしないということと働きかけをしない」ということはしばしば混同される事があるのかもしれません。 yield含め、施術やボディーワークというのはコミュニケーションという側面は必ずあって、むしろ問われているのはその質ではないかと考えます。 「コントロールしない」ということは「相手を制限しない」ということであり「相手の自由を奪わない」という事であって「働きかけをしない」ということではないのではないかと思う。 だから一見受容的なように見えて場の空気を使って相手に制限をかけるということもあり得るし、逆に働きかけているけれどコントロールはしていないということもあり得るのではないかと思います。 そういうのって結構生理的な感覚で、それこそ施術者のあり方や人間的な成熟度が問われるところなのではないでしょうか。 良いセッションが提供できるよう、自分のあり方を整えていきたいものです。 安全・安心な感覚の中で自分なとつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

愛着と分離

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クライアントさんから勧めて頂いて読みかえした、ミヒャエル・エンデの「自由の牢獄」という短編集の中に「遠い旅路の目的地」というお話があります。 母親から切り離されて世界中のホテルを転々と住まいながら、父親に興味を持たれず冷たい育ち方をした主人公。「愛着」という感覚がない。 あるとき、他人が「故郷」について語る姿を見て興味を持ち、自分の「故郷のようなもの」を探してゆくのだけれど…。 「愛着」というのは執着であり居着きでもあるのだけれど、それと同時にこの世を生きる上で自分の目線を定めてくれるものでもあるのだなあと思う。アイデンティティみたいな。 ここのところ、それが執着で手放す時に痛みを伴うものだったとしても、それはそれで構わないのではないかと感じてあまりそこに拘らなくなったみたいです。 淡路島のWSで灰谷さんが提案してくださった2つのワークで感じさせて頂いたもの。 手を伸ばして愛着を求めること。 ひとりの世界から生れ落ちて、ふたりになること。 1か月近くの時間を経て 「愛着を受け入れることと、分離を受け入れることは表と裏で初めてきちんと機能するのだな」と自分の中で経験が消化されつつあります。 自然で深い別れが私の中にぽとりと落ちたあの時の感覚が、今、私の愛着を支えてくれている感じがする。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

場の力を信じる

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12月8日、9日と淡路島(イノチグラスの 灰谷孝さん とのコラボ)と大坂でイールドのws をさせていただきました。 まだまだws経験が浅いので直前までかなり緊張しましたが、だんだんと場が深まってきて参加者の方々の満足そうなお顔を見ると、私がyieldでお伝えしたかった懐かしいような穏やかなトーンを感じて頂けているのだなあととても嬉しくなりました。 私たちはついつい実体のあるところばかりをどうにかしようとしてしまうのだけれど、「場」という実体と実体の間にあるところを整えていけば自ずと整ったものが現れてくるのだ、ということ。 童話作家のミヒャエル・エンデが「ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと」という本の中で 『ギリシャ神殿では、とくに初期のギリシャ神殿では、肝心なのは目に見えるものではなく、そのあいだの空間だということです。つまり、柱そのものより柱間の空間のほうが大事なのです。ギリシャでは、そのことをまだ知っていた時代があったにちがいありません。おそらく、それは神話の時代だったのでしょう。』 という事を書いているのだけれど、それと似ている、と思う。 実体にフォーカスしていたら「よくするためには何かをコントロールしなければならない」という発想がでてくる。でも「場」を整えるのならば(実体をコントロールすることによって場をコントロールするというやり方ではなく、コンディショニングされた場が立ち上がってくるようにする、というyieldのアプローチであれば)あとは整った場の中で実体に起こる変化を信頼して待てばよい。 今回の2回のws は私の中にそんな場の力に対するより深い信頼の感覚がわいてきた、素晴らしい時間でした。 教える側や施術する側は場の外からそれを立ち上げたりコントロールしたりするのではなくて、受けてくださる方々と一緒にその場の中に入って共に変容していくのだということがわかったこと。 「教える」なんておこがましくて、私自身が深く深く変容させていただきました。ご一緒してくださった灰谷さん、参加者の皆様、そしてあの場所に、心より感謝します。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue