棲み分ける
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コロナ禍の下で顕在化してきているように感じる事として「社会の共通認識がバラバラになりつつあるのかな」という事があります。 昔はマスコミだったりアカデミックなものだったりが及ぼす影響がとても大きくて、なかなかそこから外れた価値観というのは持ちずらいし理解もされずらいところがあったような気がします。 でも今はインターネットを見ていると本当に人それぞれ多様なものの捉え方をしていて、「異なる世界観の人とどうやってうまく共存していくのか」というのは大きなテーマになっていきそうだなあと感じます。 先日yieldの創始者の田畑浩良さんが 『安全な拠り所となる足場にyieldするという動きを体現すると、他者を含めた空間との親和性が回復します。 すると楽に共存する感覚が蘇ってきます。 適者生存ではなく、ちょうどいい間合いから生み出される「棲み分ける感覚」は日本人の誇れる、そして得意とするセンスだと思っています』 ということをtweetされていました。 世界観の違う者同士がうまく共存していく方法として「理解し合う」ということだけではなく「棲み分ける」という感覚を使っていくことも大事になってくるのかもしれないなあとふと思いました。 「人と人とのコミュニケーションの中でわかり合って共存する」というだけではなく、その間にある「ここちよい間合いを維持していくことが結果的に棲み分けによる共存関係に繋がっていく」という方法も試してみると面白いかもしれません。