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7月, 2021の投稿を表示しています

反芻しない

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  yieldを学びはじめてから徐々に「今目の前にいない人のことを思わない」感じが出てきて(目の前にいない相手の存在を忘れてしまうというか、いるというリアリティがなくなるというか…)、そうなって初めて、自分はずっと目の前にないものをあるもののように扱ってきたのだなあと気がつきました。 コンディションにもよりますが、以前と比べて嫌なことも楽しかったこともあまり反芻しなくなりました。 そうではない状態を知らないとその状態の中での選択肢しかないですが、反芻しにくい心身の状態があるのだと知ると選択肢が増えると思います。 身体を探求してみると、人の意識のモードはいくつもあるのだということが見えてきて面白いです。

朝座禅

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雲堂というアプリを使って朝座禅。 ここのところどうも不安とか怒りのような感覚が身体にある気がしていましたが、しばらく座っていたら視野がふわっと明るくなって(半眼が苦手なので眼は閉じてやる)胸の中央が暖かくなってきました。 そのままその感覚を味わっていたら、呼吸がしやすくなってきて、お腹が縮んでいない事に気がついたので姿勢を変えました。 しばらくしたら前腿も力が抜けて、とても座りやすくなりました。 古武術の山口先生が「お腹が縮んだ姿勢は恐れです」とおっしゃっていたり、ヨガでも「身体の前面が縮むのは交感神経優位の状態」と教わったことがあるのですが、なるほどなあと思いました。 胸の中央もチャクラがある位置だったりして、伝統的に言われていることって、身体感覚的には何かあるのだろうなあという気はします。 だいぶ身体が楽になったし、面白かったです。 タイマー的なものだけれど、雲堂使いやすくて便利。 https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.co.webimpact.new_undo&hl=ja&gl=US

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 子供に「そっくり」と言われたので記念撮影。 たしかに似てる😅

キャッチ

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中学生の頃からさだまさしさんが好きで多分人生で1番集中して長時間聴いている声はさだまさしさんの声だと思います。 先日まかいの牧場で、トロッコみたいな園内バスの脇を子供と会話しながら通り過ぎたら、うっすら何かが意識に入りました。 何だろう?と思うと同時に「さだまさし…」と呟いていたので、少し戻って耳を澄ませてみたら、バスから小さな音でさださんが歌う童謡が流れてました。 初めて自分の感覚スゲーと思いました。きっと敏感な人が波動がどうこう、っておっしゃるのはこんな感じに違いない。どうやら私も波動をキャッチできるようになったようだな!さださんの波動限定で! 嬉しくなってバスのおじさんに「さだまさしさん、お好きなんですかっ!?」と勢いこんで話しかけたら引き気味にスルーされました…。 全く使いこなせてない謎スキルだけど、コレは一体何に役立てたら良いのだろうか(波動キャッチよりコミュニケーションスキルを磨くべき)。 好きなものって、意識にのぼらなくても身体が自動的にキャッチしにいくものなんだなあと思います。

波にゆだねる

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高校の臨海学校で1番上の遠泳班に割り振られたくらいなので、比較的泳ぎは得意なのですが、去年までは足がつかない場所にいくとヒヤッとして身体が身構えていました。海には流れもあるし生き物もいるし底が見えないし、プールと比べるとやはり怖い。 でも、今年は海の水と自分の身体にあまり境目がない感じで身体的な恐怖感を感じませんでした。怖くないとゆったり浮かんでいればよくて、ほんの少し手足を動かしただけで姿勢を維持できるので全然体力を消耗しないのだなあと思いました。岸からの距離や、沖に引かれていくときの感覚を眺めながら海面に浮かんで空を見上げてみたり。 ふわっと持ち上げられては波を滑り降りたり、渦に巻かれてごろごろ転がったり、なんだか海に遊んでもらっているみたいで楽しかったです。 自然の中で遊ぶにはもちろん危機管理は大切なのだけれど、無駄な身構えがないということもまた、サバイバルに繋がるのだろうなあと感じた出来事でした。

とりあえず

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  何かを教わる時に先生が一見矛盾するようなことを言われる事ってあるけれど、私が使える感覚(語彙みたいなの)と先生が使ってる感覚の数が全然違う場合、先生的には違うニュアンスのものをこちらは(感じわけできないために)同じ感覚(言葉)で見てるかもしれないと思っていて、なのでとりあえず先生の言葉は「なんかわからないけど気になるボックス」にいれておいて、自分の感覚がちょっと育ってきたらまた取り出してどんな感覚か質問してみると「あれのことかな?」と照合できるものがあったりします。 先生と私は別の個体なので、知覚体系が重ならず、分かり得ないというものも多々あるだろうけど、まあ、それはそれで。 箱の中に色々入れて目隠ししてそれを探り、手触りで何か当てるゲームみたいな。 感覚が自分の最大の興味なので、とりあえずボックスには結構たくさん感覚の種が溜まってきていて、全然違うジャンルの学びに行っても何かしら取り出して楽しめるのが良いです。

関係性

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 yieldのWSへ。タッチなし、見守りだけでワークしました。 プラクティショナー役ではポジション決める時にそれがいいかわるいかっていうよりもどんな感じの関係性かってとこにフォーカスが合って、相手によって「①近くて密着(親密)な感じ、収まりがよい(でも少し窮屈)」みたいな感じもあれば「②距離がある。お互いあまり気にせず一緒にいる、風通しがよい」感じもあり「③お互い強く影響し合う、対等でない(上下関係がある感じ)」もありました。 ①は心地よさもあってその時は迷ったけれど、私にはやっぱり少し窮屈なんだと思う。母子密着的な安心感はあるのだけれど、何か制限されるみたいなニュアンスがほんのりある。 ②は軽くて明確に心地よい。動物とか植物と同じ部屋にいるみたいな感じ。 ③はとても面白くて、空間にすっぽりはまりこむみたいな感覚がありました。なんかこう、腐れ縁とか別れられないとかいうのはこういう感じなんじゃないかと思ったり。空間にはまりこむ感に、閉じてるニュアンスがあるような気がしました。 関係性を関係性として見るのではなく、身体感覚、空間知覚として見て見るというのはとても面白いなあ。 空間身体学的に関係性を見ていく感じがとても興味深かったです。

懐かしさ

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 yieldしているととても懐かしい感じがすることがあります。子供の頃過ごした高円寺の路地裏の気配とか、父の仕事場の気配とか、夏休みの祖父の家の書斎の雰囲気とか、それらしいものを思い出しはするのだけれど、何となくちぐはぐな感じもあって、何に懐かしさを感じているのだろうかとずっと不思議でした。 そもそも「懐かしさ」ってどんな気持ちだろう? 辞書には 『1  心がひかれて 離れ がたい。 ㋐ 魅力的 である。すぐそばに身を置きたい。 ㋑ 好感 がもてて 近付き になりたい。 親しく したい。 2  かつて 慣れ 親し んだ人や 事物 を 思い出 して、昔にもどったようで楽しい。 3   引き寄せ たいほどかわいい。 いとおしい 。 4   衣服 などがなじんで着ごこちがよい。』 とありました。 あ、なるほど。私は懐かしいというのは 2 だと思っていたので過去の出来事を探しに行ってしまっていたけれど、yieldで立ち上がってくる懐かしさはおそらく 1 や 3 や 4 が身体感覚として立ち上がってきているんだ。懐かしさだけがあって、対象がない。 通常対象に対して反射的に湧いてくるような身体感覚に対しては「目的があるはずだ」と思い込んでいるので、つい対象を探してしまうのだなあ。面白い。

マンサンダル

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 裸足歩きが心地よい季節ですが、炎天下のアスファルトの上は歩けない。 というわけで、以前から気になっていたマンサンダルを本格的に使い始めました。今までは紐の調整がうまくいってなくて長時間歩かなかったのですが、今日はマンサンダルで3時間くらい歩いてみました。 試し歩きでも足指がものすごく疲れるのは気が付いていたけれど、まとまった時間歩いたら足指だけでなくMP関節もものすごく疲れて何度も攣りそうに。 靴で凄く足が鈍っているんだなと実感。 今年の夏はマンサンダルで足を鍛えなおそうと思います。帰宅して床を歩いたら、足の裏がふかふかで気持ちいい。これは立つ精度も上がりそうだなあ。

大丈夫な感覚

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 「安全・安心な感覚」「満たされている感覚」っていうのは「このままで大丈夫という感覚」に通じるものがあるのだなあと思います。そして「このままで大丈夫」から始められると、好奇心や冒険心のような自発的な衝動から動き出すことができる。 そこに定住するための「安全・安心」ではなくて、冒険に出かけるためのベースとしての「安全・安心」が提供できたらいいなって思います。 それぞれの人がそれぞれに喜びをを求めて冒険していけるような社会になったなら、どんな風景がうまれるのだろう。

花火

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 近所の幼稚園の夏祭り。小さな花火が上がって、風にのって子供達の歓声が聴こえる。 夏休みの始まりに、子供達がお友達と集まって花火を眺める楽しみを確保するために、先生たちは心を砕いたのだろうなあと思う。 前にもこんな風にベランダから花火を眺めたことがあったなあと、ふと思い出しました。 鮫洲のマンションに住んでいた頃、お台場の花火をベランダから眺めていたらお隣のおばあさんと目があって「綺麗ですね」と少しだけ言葉を交わしました。彼女は末期の癌で、きっと自分が過ごす最後の夏になると知っていたんじゃないかなと思う。花火が終わっても静かに空を眺めてらっしゃったので、声をかけずにそっと部屋に戻った、あの夜みたいな気配がする。 生きている時間の密度みたいなものがフッと濃くなるとき。不思議だなあと感じます。