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11月, 2024の投稿を表示しています

有機体としての場

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先日させていただいたサテライト形式でのオンラインイールドワークショップで主催の方から、ある瞬間から会場(2間続きの和室で、2組のペアがワークされていました)とzoomで繋いでいる私(馬渕)の部屋の空間が統一されて一体化したような感じがした、と教えていただきました。 先日都立大学でのワークショップでもペアワークのある瞬間に空間が一体化した感じがしたと何人かの参加者の方がおっしゃっていました。 この状態をコヒーレンス(全体が一体化してゆらいでいる状態)と呼びます。 空間の中にある質感がうまれてきて場を統合していく感じ。その場にいる人たちが、それぞれ個でありながら全体としてひとつの生き物であるかのように響きあう感じ。 細胞の集合体が私たちの身体であるように、人もまた場を介してひとつの有機体のようにふるまう。生命の力がダイナミックに立ち上がってくる場であり、そこでは「存在」が立ち上がってくる感じがします。 そのような場をコンディショニングすることがイールドの技術で、本質的には扱っているのは身体ではないのだと思います。 オンラインワークショップの主催の方が 「ふんわりし ただけのリラックスとは別の、折り目の整った質、空間に張りがあるように感じられて、その一体感にはイールダーとしての海さんの力を感じました。もしかして私もそれにすこしは力添えできてるのかも?なんて、鼻高くなりそうな気持を抑えました  」 とご感想をくださいましたが、もちろん力添えをいただいているのです! 場はひとりではできないのですから。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

小さな偉業

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先日セッションさせていただいた自閉症と重度の知的障害のあるお子さん。 親御さんがいつもお子さんの手や足にマッサージをされているのだそうです。 そういう風に親御さんが「触れる」という窓を開けておいてくださることでセッションにすっと入れるということがあるのだとボディーワークの大先輩から教えていただきました。 きっと親御さんはそんな風に思ってされていたわけではないのだと思います。 でも親御さんのタッチがお子さんにとっては他者や世界とつながるための通路になっているのだということ、セッションをさせていただいた後ではよくわかる。 世界は小さな偉業に満ちている。 そのことに気がつけたらいいな、と思います。 そして、自分のささやかな偉業にも誇りを持っていたいと思う。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

ふたりでおどる

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自閉症と重度の知的障害のあるお子さん(Aさんとします)にセッションをさせていただきました。下書きを読んでいただきご許可を頂いて私の経験を書かせていただきます。 姿勢の悪さと身長が伸びないことを親御さんが気にされてご依頼いただきました。 イールドで場を整えてつながりを作ってから少しずつ触れていく。 お身体を動かしてみるとノイズのような不随意な運動が沢山ある。でも身体が行きたいところ、行きたくないところを感じながら対話するように動かしていくと、最初は雑誌に夢中だったAさんが雑誌に目を向けたまま「あれ?」とこちらに意識を向けられたのが分かりました。 そのまま身体で対話を続けていくと、ノイズの向こうにAさん自身がいるのが感じられるようになってきました。遠くから聞こえる微かな音楽を聴くように耳を澄ませてみる。Aさんも目を細めたりして、同じ音楽に耳を澄ませていらっしゃるように見えました。 リラックスしたときでるというよだれがでたり、ご機嫌な時にされるという首振りの動きが出てきたり。 姿勢を変えて座って頂いて腕を動かしていると、だんだんとノイズが背景になっていってAさんと直接お話している感じになってきました。雑誌から目が離れて、窓の外の夕暮れの景色を少し不思議そうに眺めているAさんの姿は何か大切なことを思い出そうとしておられるように見えました。 窓の外の空間の広がりを感じた時の感じに腕のポジションを動かしてみる。 よく晴れた夕方の空を一緒に眺めている身体を一緒に味わう。 右腕を動かすと指をさすような手の動きが出てきたので、窓の外の見ておられる場所を指さすように動かして意識・意志・動きが調和するようなポジションを探す。そのままそっと身体の正中線を超えて手を反対側の口元へ誘導して何度か当ててみる。 ふっとAさんが振り向いて私の方を見てくれて目が合ったとき、内側の世界と外側の世界、両方がつながって「出会えた!」という感じがしました。 フェルデンクライス・メソッドではセッションを「二つの神経系のダンス」と言ったりするそうですが、ああ、この感じなんだ!と思いました。 そこには「する→される」の関係はなくて、Aさんが私の誘いに応じてくれたから今日の夕空を一緒に踊ることができた。存在に触れることは存在に触れられることでもあるのだと知ったとても深い体験でした。 生命はそれ自体が自律性を持つ。身体...

バウンダリーと背骨

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「 人間脳を育てる 」の中では「脊椎のありかがわかり、自分で動かせる」ことが「自分という人間がわかる」「信念の土台」という風に書かれています。 自分の経験上もありそうな感じがするのですが、それはどうしてなのだろう? 赤ちゃんの発達を考えるとき、お座りの段階まで進むと脊椎が重力方向と一致する。 このとき、空間の知覚が平面的なものから三次元的なものに変わる。 そうすると、前、後ろ、横、上、下と全方位に空間認知が広がって、自分という座標点が認識できるようになる。 自分で移動する可能性が出てきて、能動的に働きかけることができるようになる。 それによって自分とそうでないものの区別がはっきりしてくる。 重力方向と背骨の方向が合致することで空間認知が変わり、移動可能性が出てきて、それによって世界とのかかわり方、自己認識が変化していく。 バウンダリー(自他の境界)というのがありますが、まず自分という認識がはっきりしていないと境界は引きようがない。心理的な自己探求も役に立つと思いますが、もしかしたら身体の感覚を育てていくことでバウンダリーの基礎の部分を補強できるなんてこともあるかもしれません。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

人間脳を育てる

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灰谷孝さんの書かれた「 人間脳を育てる 」を再読しています。 読みながら新しい発見が色々とあってとても面白い。今回は自分の経験も踏まえて、発達障害と複雑性PTSDが似たような症状を持っていたり重なっていたりする理由について考えることがありました。 この本では子供たちは自分の発達を促す遊びや動きを本能的に知っていて、それを邪魔したり止めたりせずにやりきらせることが発達を進めるのだと書かれています。 私自身も子供のころも大人になった今でも、これがやりたい!とドはまりして飽きるまでする遊びというのが時々あるので、なんとなく心当たりがあります。 ところで、 ポリヴェーガル理論 では「遊び」「好奇心」は腹側迷走神経複合体が活性化されたモードだと言われています。 とすると、自分の発達を促す遊びや動きが本能的にでてこられるようになることや遊べることで神経系の発達が進行するには、そもそも腹側迷走神経複合体の活性化が起こっている必要があるのではないでしょうか。 幼少期に逆境が多いと交感神経や背側迷走神経のモードで過ごす時間が多く、腹側迷走神経複合体のモードも立ち上がりにくくなる可能性が高い。そうすると原始反射の統合的な意味合いでの「遊び」ができにくくなるのではないか、と想像します。 もしそうだとすると、複雑性PTSDがあるような生育環境がある人は遊べなかったことでで未統合の原始反射が残っている部分が多くあるのかもしれません。 また、「人間脳を育てる」には原始反射の統合が学習能力・コミュニケーション・情緒にも関わってくることが書かれています。この3つがうまくいかないとよりPTSDにつながるような体験をしやすくなりそうだし、情緒の処理がうまくいかないと流せずに残る感情も多く持ちやすいのかもしれない、と想像します。 最近セッションの最後にほんの少しだけ発達に関わるようなムーブメントを入れています。これによってイールドに加えて反射の統合の部分で安全・安心な感覚や自分とつながりなおすことを加えられると考えています。 そういえばセッションのとき楽しそうにされたり笑いだされる方って結構多いのですが、もしかすると腹側迷走神経複合体が活性化されて遊びのモードが立ち上がっているのかもしれませんね。それは思ったよりずっと深い意味のあることなのかもしれません。 余談ですが、灰谷さんには一緒に過ごさせていただ...

流れてゆく風景

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床の上を転がったり、這いずったり。 横向きになって身体を伸ばしたり丸まったりしていたら、不意に膝をおでこに近づけたくなりました。その姿勢をとってみたら両手で頭を抱えてみたくなった。 最初は胎児かな?と思ったけれど、頭を抱えてみたら何人もの人に蹴飛ばされながらなんとか身を守ろうとしているようなイメージが出てきました。 ぎゅっと身を固くしてお腹の奥の方から出てきた感覚に身を任せて少し涙を流して。 気が済んだら身を解いて動いているうちに眠ってしまったよう。 翌朝また少し転がってみたら、今度は海に身をゆだねたときの深い安心と喜びの感覚が出てきました。 パントマイムを稽古していた頃もこういう風に身体から色々なイメージが出てくるのを眺めるのが面白くて好きだった。 身体に残っているものはいつかの私の心象風景かもしれないし、どこかで見た小説や映画の記憶かもしれないし、トラウマ的な何かなのかもしれない。 ただ眺めて、消えてゆくのを見送る。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

谷川俊太郎さんのこと

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谷川俊太郎さんが亡くなられました。 去年川口拓さんのメディスンプレイスのWSの後に一人でメディテーションしていたら鬱蒼とした杉木立のビジョンが出てきて「あ、戸隠だ。行かなきゃ」と思って初めて戸隠に行きました。 雨で寒くて観光する気力もなく入った観光案内所に置いてあったグランドピアノ。説明書きから谷川俊太郎さんと河合隼雄さんがすぐ近くの「ランプ」という喫茶店で何度も催しを開かれていたと知って行ってみることに。 薪ストーブの傍のロッキングチェアに腰かけて、焼きたてのアップルパイと珈琲を飲みながら河合隼雄さんの本を読んで過ごした一日。私にとってとても大切な時間と空間でした。 今年またランプに行ったら流れていたピアノの曲が去年も流れていたこと、自分がそれを覚えていたことに驚いて、この素敵なピアノは誰の曲ですか?と店主さんに質問して教えていただいた谷川賢作さん。帰宅してから曲を聴いて感動したことをXでポストしたら賢作さんが話しかけてくださってライブでお話もさせていただいたりして、不思議なご縁だなあなんて思っています。 ランプでは店主さんから「喫茶店を作るときに谷川俊太郎さんがレイアウトを細かく決めてくださって作った空間なんですよ」というお話も聞きました。 谷川さんの詩に流れているものとランプの空間の感じはよく似ている。静かで、神聖な感じもあって、でもやわらかく人を包んでくれる人間らしい暖かさもあって。 人の肉体はなくなっても、その存在とか感性は響き続けていくのだろうと思う。 そしてあのビジョンをたどって私が受け取るべきだったものは、賢作さんがFacebookに俊太郎さんの言葉として紹介してくださった、この言葉かもしれない、と思う。 「人はそれぞれが、それぞれのところでしっかりやればいいんだよ」 直接お目にかかったことはないのだけれど、凄く深いところから励ましていただいたように感じます。 ありがとうございました。 賢作さんのfacebook記事 。お二人ともすごいなと思いました。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

エネルギーの源泉につながる

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yieldを受けた後は多くの方が深い休息が取りやすくなります。 たまっていた疲れを解消するために眠くてたまらない期間がある場合もあれば、短い睡眠時間でもすっと起きられるようになる方もいるようです。 では、鎮静の方向に行くのかというとそんなこともなく、むしろ活発になる面もあるように感じます。 これは私の予測ですが、イールドで「自分の身体とつながりなおすこと」「身体としての自分に還ること」が起こると、それまで自分ではないものになろうとして使っていたエネルギーの浪費が減るのかもしれません。 自分の中にあるエネルギーの源泉とのつながりなおし、とも言えるかも。 自分の内にある豊穣なもの。ぜひ体験しにいらしてください。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue