ふたりでおどる


自閉症と重度の知的障害のあるお子さん(Aさんとします)にセッションをさせていただきました。下書きを読んでいただきご許可を頂いて私の経験を書かせていただきます。

姿勢の悪さと身長が伸びないことを親御さんが気にされてご依頼いただきました。

イールドで場を整えてつながりを作ってから少しずつ触れていく。

お身体を動かしてみるとノイズのような不随意な運動が沢山ある。でも身体が行きたいところ、行きたくないところを感じながら対話するように動かしていくと、最初は雑誌に夢中だったAさんが雑誌に目を向けたまま「あれ?」とこちらに意識を向けられたのが分かりました。

そのまま身体で対話を続けていくと、ノイズの向こうにAさん自身がいるのが感じられるようになってきました。遠くから聞こえる微かな音楽を聴くように耳を澄ませてみる。Aさんも目を細めたりして、同じ音楽に耳を澄ませていらっしゃるように見えました。

リラックスしたときでるというよだれがでたり、ご機嫌な時にされるという首振りの動きが出てきたり。

姿勢を変えて座って頂いて腕を動かしていると、だんだんとノイズが背景になっていってAさんと直接お話している感じになってきました。雑誌から目が離れて、窓の外の夕暮れの景色を少し不思議そうに眺めているAさんの姿は何か大切なことを思い出そうとしておられるように見えました。

窓の外の空間の広がりを感じた時の感じに腕のポジションを動かしてみる。

よく晴れた夕方の空を一緒に眺めている身体を一緒に味わう。

右腕を動かすと指をさすような手の動きが出てきたので、窓の外の見ておられる場所を指さすように動かして意識・意志・動きが調和するようなポジションを探す。そのままそっと身体の正中線を超えて手を反対側の口元へ誘導して何度か当ててみる。

ふっとAさんが振り向いて私の方を見てくれて目が合ったとき、内側の世界と外側の世界、両方がつながって「出会えた!」という感じがしました。

フェルデンクライス・メソッドではセッションを「二つの神経系のダンス」と言ったりするそうですが、ああ、この感じなんだ!と思いました。

そこには「する→される」の関係はなくて、Aさんが私の誘いに応じてくれたから今日の夕空を一緒に踊ることができた。存在に触れることは存在に触れられることでもあるのだと知ったとても深い体験でした。

生命はそれ自体が自律性を持つ。身体的知性と言い換えてもいい。それは「尊厳」ということと深くかかわっているのだと思います。

セッションが終わると今度はAさんが私の手を取ってくれて、一緒に玄関まで歩きました。

いらっしゃったきっかけの姿勢も背中が伸びて正座でもしっかりと座られるようになっておられましたが、私は「目が合ったこと」がこのセッションのゴールだったように感じられます。

親御さんたちもなんとなく胸がぽわーっと開いたような感じになられたそうで、イールドの場の中でみんなが共鳴した中で起こったことなのだろうなと思います。

素晴らしいセッションをさせていただいて、本当に感謝です。

安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす




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