愛着と分離

クライアントさんから勧めて頂いて読みかえした、ミヒャエル・エンデの「自由の牢獄」という短編集の中に「遠い旅路の目的地」というお話があります。

母親から切り離されて世界中のホテルを転々と住まいながら、父親に興味を持たれず冷たい育ち方をした主人公。「愛着」という感覚がない。

あるとき、他人が「故郷」について語る姿を見て興味を持ち、自分の「故郷のようなもの」を探してゆくのだけれど…。

「愛着」というのは執着であり居着きでもあるのだけれど、それと同時にこの世を生きる上で自分の目線を定めてくれるものでもあるのだなあと思う。アイデンティティみたいな。

ここのところ、それが執着で手放す時に痛みを伴うものだったとしても、それはそれで構わないのではないかと感じてあまりそこに拘らなくなったみたいです。

淡路島のWSで灰谷さんが提案してくださった2つのワークで感じさせて頂いたもの。

手を伸ばして愛着を求めること。

ひとりの世界から生れ落ちて、ふたりになること。

1か月近くの時間を経て「愛着を受け入れることと、分離を受け入れることは表と裏で初めてきちんと機能するのだな」と自分の中で経験が消化されつつあります。

自然で深い別れが私の中にぽとりと落ちたあの時の感覚が、今、私の愛着を支えてくれている感じがする。

安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす

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