自分なりの

 


私自身も含めて、多くの人は教育システムの中で「自分なりの感じ方、自分なりの視点をベースにものを考える」ということに制限を身につけてしまっているのだと思います。

「正しい、正しくない」という判断軸そのものすらひとつの見方で、そこから外れてものを感じたり考えたりすることは、困難なこと。 一見そうじゃないように見えて、「自分なりの感性で考えなさい」という師匠の顔色を伺いながら、師匠にとっての正解を探してしまうという罠まで(私は結構長いことコレをやったし、今も自分がそこから抜け切れたとは思っていない)ある始末。 古武術の山口潤先生 の一人稽古はそこから抜け出して自分の感性に基づいた思考を始めることを学ぶ大切な場でした。 山口先生はじめ、姉弟子・兄弟子の自由過ぎる感性、そして組織的なヒエラルキーを捨てて自分の興味をひたすら追いかけていく稽古の姿に共鳴して今の私の探求姿勢は出来上がっています。 「稽古を共有するからには共同研究者です」と対等な場を作り育ててくださった山口先生に、尊敬の念を感じています。

安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす

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