ひき潮



熱を出したとき、うとうとと眠って、ひと眠りごとに自分の身体の力が癒えて満ちていく、あの感覚が好きです。春の芽吹きのような風景。

健全さというのは、安定していて快適な「状態」にあるのではなく、快適に向かう自分の身体の「欲求」や「流れ」の中にある、「力」「働き」なのだなあと思います。

でもよく考えるとバイオリズムは快適に向かう時もあれば逆に不調に向かってゆくこともある。潮の満ち引きのようにそのリズムを繰り返しながら、少しづつ死に向かってゆくのが生命。

では不調に向かうとき、潮が引いてゆくとき、老いて死に向かう流れには意味がないのだろうか?ということを少し考えていました。

もちろん、満ちるために引くのだということもできる。

でも、それだけじゃないのかもしれない。

引くときというのは、少ない力で物事を成し遂げるための「知恵」であったり、自分の弱さを許し、譲って次の世代を育てていくような「成熟」を身に着けるための時間なんじゃないかという気がします。

老いや病は単に若さや力を失う事ではない。

健康とは何か、良く生きるというのはどういうことなんだろう?考えていくと、その根底には起きている物事にどのように向き合うのかという「世界に対する構え」があるように思えてなりません。

yieldでご提供している「ゆだねる動き」というのは、この「構え」に対するひとつのアプローチとなり得るものだと思っています。








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