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お気に入りの丘の上で景色を眺めながらふと、何年か前に感じていた感覚のことを思い出していました。

抗がん剤の治療と重なって起こったコロナ禍。自分の死を身近に感じたことと世界的な不安の中でなぜか私の感覚は真逆に触れてしまって、自分の中心から深い静寂と安心の感覚がわき出てきた。


世界は静かで穏やかで、この丘の上から見る景色はまるで余生のような感じがした。

あるいは私はもう死んでしまっていて、死者の目から生きている者たちの営みを美しく愛おしく眺めているようなそんな感じ。

自分がいなくなると世界と私との間に境界がなくなって、空も遠くに見える町や山々も月も、全てが親しくなる。月や空と会話ができそうな。

世界には誰もいない、とも感じた。

この1年くらいそこからずいぶんと離れてしまっていたけれど、丘の上の景色が何を大切にすべきかを思い出させてくれたように思う。

優れているとかいないとか、波動が高いとか低いとか、そういうことは事実としてあるとしてもそこに拘ると見失ってしまう。

誰もいない世界には美はあっても優劣はない。いまここに現れている平凡でありふれたことたち、窓の外の電車の音や郵便配達のバイクの音、街に漂う夕暮れの気配の中に深い懐かしさや美しさが現れて、そういう質感を愛おしく感じられること、そのことになによりも満たされるのだと知ること。

私にとってゆだねるということの本当の価値は、あの静寂と美の世界への通路になっているということ。

人の真ん中は空で、そこは空でありながら一番満ちている。


安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす


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