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余白の力

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 余白があると、ひとはそこに何かを作りだす。 想像力をつかって。 余白を埋めてしまわないということは、その人の想像力が働く余地を残しておくということ。 内側から生まれてくるものこそ、本当の力だから。

言葉の間合い

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作家のカズオ・イシグロの作品が好きです。 特徴は独特な一人称の視点。最初は主人公の一人語りがとても冗長に思える。なんでこんなことをつらつらと話しているんだろう? でも読み進めていくとなぜ主人公がどうでもよいようなことを長々語らなければならなかったのかが明らかになってくる。 この語りは読み手に対してという感じもあるし、半ば自分自身に対してな感じもあって、主人公の眼差しを介して物語を体験していく、触覚的な読書体験だなあと思います。 そういえば、カズオ・イシグロの作品は映像になっていたけれど、映像ではカメラは三人称の視点にならざるを得ない。どんな作品なのだろう? 興味がわいたので映像化された作品「日の名残り」を見てみました。 アンソニー・ホプキンズが相手役の女性とともに微妙な心理描写を見事に演じている。人の心の機微や時代のなかで翻弄されていく人々の様子が感じられて面白かったけれど、やはりカメラのように外側から状況を見て理解していくことと状況の中に身を置いて感じていくことは全く別の経験を生むのだなと思いました。 これは体験すること全般に言えて、身体の体験もともすると第三者的に理解していることがあるように感じます。そこに身を置いて感じているときって案外「わからない」ものだったりする。 自分の中に留まって感じ続けていると、あるときにそれが繋がって全体像が見えてくる。この「あっ!」という自分なりの発見、自分の内側とつながる創造的な経験は自信につながるように思います。 少し話が変わりますが、文章も書き手がどこにいるのかで随分と受ける印象が違います。 一人称の視点、自分の中にしっかり納まって身体感覚を大事に書くと、読み手と書き手が隣に並んで同じ風景を眺めるような親しさを感じられるように思います。写真の中に撮り手の眼差しを感じることがありますが、ちょうどあんな感じになる。 三人称の視点では向かい合って話をするような感じ。 言葉にも間合いがある。面白いな、と思います。