経験



身体の不調が出てきたとき、不調の原因になっている行動を探ったり見直すことなく外からの力で整えようと思うのか、自分の行動を見直してみようと思うかは「自分の身体をどのようなものとして扱うのか」という事に深く関っているように思います。

身体は所有する機械のようなものなのか?  

それとも支え合って生きていくパートナーなのか?

あるいは色々な事を導いたり教えたりしてくれるメンターなのか?

化学療法をうけているときに感じた身体の頼もしさについて思いだすと、病気や怪我が自分にとってどのような経験になるかは身体との関係性によってずいぶん違ってくるんじゃないかなあという気がします。


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