生命

 


yieldしていると、自己調整のために大きな動きが出る方もいらっしゃいます。

先日ふと、その動きの印象に大野一雄さんや土方巽さんの舞踏を思い出しました。

舞踏ってたまに魂を持っていかれるかと思うような美しいものがあって、多分そのとき私が感じているのは剥き出しの生命みたいなものなんだと思う。社会化される前のそのままの生命というのは、力強く、繊細で、尊くて、美しいなあと感じます。

身体には自ら整おうとする意志があり、その動きがうまく出てこられる場を提供することがプラクティショナーの役割なのだと、受け手の方のお身体から教わり続けているように感じます。

コメント

このブログの人気の投稿

余裕をもつ

セッションについて