身体感覚と自己


朝、ぼんやりしながら牛肉を切っていたら手を切りました。

牛肉と自分の肉の切り心地に差を感じなかったので、切られた方の手の痛みで「あ、切ったかな?」と思ったのですが、痛みを感じなかったら牛肉と自分の肉の区別がつかないんだろうなあ。 「皮膚の内側は自分」という設定が強固に生まれてくるのは、痛みがあるからなのではないかと思います。以前痛覚を感じない人がいるというのを何かで見たことがあるのだけれど、そういう感覚の人たちの自我の感覚ってどんな風になるのだろうか。 ワンネスの感覚を感じやすかったり、他者との境界、バウンダリーの感覚なんかも違うのだろうか。

身体感覚と自己という意識のあり方って関係が深そうに思います。

安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす

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