お茶碗からバウンダリー
先日、猿手というものを教わりました。
人間は親指と残り四指を向かい合わせてものを握りますが、猿は親指と残りの四指を平行にして使っているのだそうです。
親指とのこりの四指を向かい合わせて使うと道具を器用に使える一方で相反する向きのベクトルの力が働いて手首から肩まで緊張しやすくなりますが、猿のように手を使ってコップやペットボトルを持ってみると手のひらでものを持つような感覚が出てきて指や腕の力が抜けます。
以前習っていた茶道でのお道具の扱い方。古武術で教わった腕をらせん状に回して使う(着物のたもとを抑えて動かすような)動き。猿手のこの感じは、和の所作の中に多くあるように感じます。
この手でお茶碗を包むように胸の前で持つとほっとします。
「私」がお茶碗を包んでいるようでいて、同時に「こころ」が包まれてここにあるような。自分がここにいる、という感覚がじんわりやさしく感じられてきます。
そうやってお茶碗に触れていると「表面を大切に扱って、内側まで入り込まない」ということをふっと思いました。
人と人との関係性もそうかもしれない。
他人の内側をむやみにのぞき込んだりしない。表面を大切にするための技術がお作法とか礼儀とかいったもので、そうやって表面を大切にすることで適切な間合いが生まれてくるというところがあるのかもしれない。
お茶碗からバウンダリー。
安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす
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