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セッションについて

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  セッションについて 外から決められた「正しい形」にあてはめなくても、身体には自らバランスを探して適応していく力があります。 セッションでは間合いと軽いタッチにより心身を深いリラックスに導き、身体の内側からの変化を促します。 ☆場所:神奈川県川崎市 溝の口、登戸、向ヶ丘遊園よりバス(ご予約時にお知らせ致します)。駐車場はありません。近隣の駐車場をご利用ください。 ☆営業日:対面セッション 火曜日〜土曜日(祝日除く)10時~17時 ※オンライン・遠隔セッションについては21時頃まで可能です。 ※対面・オンライン・遠隔ともに上記以外の曜日についても調整可能な場合がございます。ご相談ください。 ☆料金(2024より) ・対面セッション 10000円/1回(60分程度)  ・遠隔セッション 5000円/1回(20分~30分程度。お身体の反応に応じて前後します) ※Yielding embodimentは3シリーズで全体(背面、側面、腹面)にyieldの動きを引き出します。また、より統合を深める8シリーズもあります。 1回でお受けいただいても効果は出ます。また逆にシリーズを終えた後もお受けいただいてy深めたり調整として使っていただくこともできます。 ※価格については随時見直しをさせていただきます。 ※お時間はあくまで目安です。 お問い合わせ・ご予約はこちらまで kai.mabuchi@yielding-embodiment.com

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身体に意識を向けて静かにしているとふわっと明るくなる感覚がすることがあります。 日が差してきたのかな?と思うような、柔らかくて暖かい光に包まれるような感覚。 日向ぼっこをしているよう。 イールドのセッションの中でも「明るい感じがします」とおっしゃるクライアントさんがいらっしゃいますし、私自身も最初にこの感覚を感じたのはイールドのセッションの中だった気がします。 慣れてくると日常の中でも、静かに身体に意識を向けているときに起こっていることに気がつくようになりました。 恐らく脳や神経系の中で何か良い変化が起きているのだと思いますが、心地よさとともに身体の緊張が抜けていくときに起きているようです。とても気持ちが良いので、大体そのままうつらうつらしてしまいます。 思い出せば私は子供の頃から緊張や不眠傾向が強かったのですが、イールドを受けるようになってから徐々にその傾向が弱まってよく眠るようになりました。日中も疲れたら昼寝をするし、眠ると身体の緊張がリセットされます。 休息の質が上がることは、身体も心も回復や成長を助けてくれますよね。 そういえば、様々な文化や宗教の中で「光」は特別な意味を持ちますが、それとこの光の感覚ってきっとつながっているのだろうなあ、と思ったりもするのです。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

余白の力

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 余白があると、ひとはそこに何かを作りだす。 想像力をつかって。 余白を埋めてしまわないということは、その人の想像力が働く余地を残しておくということ。 内側から生まれてくるものこそ、本当の力だから。

言葉の間合い

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作家のカズオ・イシグロの作品が好きです。 特徴は独特な一人称の視点。最初は主人公の一人語りがとても冗長に思える。なんでこんなことをつらつらと話しているんだろう? でも読み進めていくとなぜ主人公がどうでもよいようなことを長々語らなければならなかったのかが明らかになってくる。 この語りは読み手に対してという感じもあるし、半ば自分自身に対してな感じもあって、主人公の眼差しを介して物語を体験していく、触覚的な読書体験だなあと思います。 そういえば、カズオ・イシグロの作品は映像になっていたけれど、映像ではカメラは三人称の視点にならざるを得ない。どんな作品なのだろう? 興味がわいたので映像化された作品「日の名残り」を見てみました。 アンソニー・ホプキンズが相手役の女性とともに微妙な心理描写を見事に演じている。人の心の機微や時代のなかで翻弄されていく人々の様子が感じられて面白かったけれど、やはりカメラのように外側から状況を見て理解していくことと状況の中に身を置いて感じていくことは全く別の経験を生むのだなと思いました。 これは体験すること全般に言えて、身体の体験もともすると第三者的に理解していることがあるように感じます。そこに身を置いて感じているときって案外「わからない」ものだったりする。 自分の中に留まって感じ続けていると、あるときにそれが繋がって全体像が見えてくる。この「あっ!」という自分なりの発見、自分の内側とつながる創造的な経験は自信につながるように思います。 少し話が変わりますが、文章も書き手がどこにいるのかで随分と受ける印象が違います。 一人称の視点、自分の中にしっかり納まって身体感覚を大事に書くと、読み手と書き手が隣に並んで同じ風景を眺めるような親しさを感じられるように思います。写真の中に撮り手の眼差しを感じることがありますが、ちょうどあんな感じになる。 三人称の視点では向かい合って話をするような感じ。 言葉にも間合いがある。面白いな、と思います。

お茶碗からバウンダリー

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先日、猿手というものを教わりました。 人間は親指と残り四指を向かい合わせてものを握りますが、猿は親指と残りの四指を平行にして使っているのだそうです。 親指とのこりの四指を向かい合わせて使うと道具を器用に使える一方で相反する向きのベクトルの力が働いて手首から肩まで緊張しやすくなりますが、猿のように手を使ってコップやペットボトルを持ってみると手のひらでものを持つような感覚が出てきて指や腕の力が抜けます。 以前習っていた茶道でのお道具の扱い方。古武術で教わった腕をらせん状に回して使う(着物のたもとを抑えて動かすような)動き。猿手のこの感じは、和の所作の中に多くあるように感じます。 この手でお茶碗を包むように胸の前で持つとほっとします。 「私」がお茶碗を包んでいるようでいて、同時に「こころ」が包まれてここにあるような。自分がここにいる、という感覚がじんわりやさしく感じられてきます。 そうやってお茶碗に触れていると「表面を大切に扱って、内側まで入り込まない」ということをふっと思いました。 人と人との関係性もそうかもしれない。 他人の内側をむやみにのぞき込んだりしない。表面を大切にするための技術がお作法とか礼儀とかいったもので、そうやって表面を大切にすることで適切な間合いが生まれてくるというところがあるのかもしれない。 お茶碗からバウンダリー。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

いのちの輪郭

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高校生の頃、山岳部に所属していました。 その頃の私は生きていることに疲れ果てていて、それでなんとなく自分の命がかかるような体験を求めていたようなところがあったと思います。 夏の合宿で登った北アルプス。おぼろげな記憶をたどると、燕岳、大天井岳、赤岩岳、槍ヶ岳から徳沢に降りて上高地まで歩いたのだと思います。 初めて森林限界を超えて歩いた稜線。青の底に宇宙の黒を感じるような空の色。 全てがむき出しで逃げ場もなく自然と向き合わざるを得ない。 滑落の危険、落雷の危険、暑さや寒さ。危険に晒されれば「怖い」と感じる。そう感じる自分はやっぱり生きたいのだな、と自分の心よりも身体からやってくるものを信頼しようと思った。 身一つで歩き切るしかない山歩きは、生きていることに疲れていた私の命の輪郭をくっきりと浮かび上がらせてくれました。 山の朝は早い。 2時に起床して、3時に朝食、4時にはテントを畳んで出発する。 起床してテントを出ると頭上に満天の星、天の川。 出発する頃には雲海が広がって、やがて朝日が昇ってくる。 大きな大きな宇宙というシステムの一部としての私。 昼間道端で死んでいた野ネズミやミミズ、家族で歩き回っていた雷鳥と同じように、私もただその一部としてここにあるのだと知りました。 とても壮大で、同時にとてもちっぽけな「私」というもの。生き物はみんなそういう側面を持っている。 あのとき山で感じた美しさは私が人の身体を見るときの原点のひとつ。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

身体が語るもの

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クライアントさんから 「HPのこんな方におすすめ、というリストの中に対人関係の問題について書かれているのはなぜですか?」 というご質問を受けましたので、書いてみようかなと思います。 まず、イールドで使っている間合い(他者との距離感、位置関係)。セッションではこれによって居心地の良さが変化する、ということを体感していただくことができます(人によっては意識に登るまでに時間がかかることがありますが、身体は感じているので変化が起こります)。 それが感じ取れるようになれば、日常の中でも意識の上では嫌な人でも悪い人でもないけれどなんとなく身体が向かない、居心地が悪いという相性の人に気がつくことができるかもしれません。そういうちょっと合わない相性の方とは無理をせず、いい間合いでのお付き合いを意識してみるとうまくいきやすいかもしれません。 また、凄く惹かれあって激しく反応するような相性の方もいます。そういう組み合わせはわーっと盛り上がってテンションが上がった後にお互いキツくなったり合わなくなってトラブルになることが多いかもしれません。このときも気がついておけばちょっと寂しくても適切な間合いをとって長く楽しいお付き合いが続けやすくなるかもしれません。 それから、距離だけではなく位置関係もあります。 違和感があったら身体の位置を変えてみたり、ものの配置を変えてみると緩和されることもあるかもしれません(真正面に座らない、間にものを置くなど)。 いずれにせよ、間合いの感覚を育てることによって対処できることがあるということです。 それからもう一つ、腹側迷走神経複合体が働きやすくなることや姿勢の変化によって人にどう扱われるかが変化する可能性です。 人間は無意識に相手の神経系や姿勢を読み取って相手に対する対応を変えているところがあります。公共の場所で誰かのとげとげしい声が聴こえてきてイラっとしたり怖くなったという経験は誰でもあるのではないでしょうか。 腹側迷走神経複合体がうまく機能しているときの声のトーンというものがあります。機能していないとき、そんなつもりはなくても声が戦いや恐怖の信号を相手に伝えてしまっていることがあって、自分も相手も無意識にその攻撃的なトーンに巻き込まれていく、ということが起きていることがあるように感じます。 また、表情筋や動きの滑らかさ、姿勢なども同じように神経系のはたら...

目線と運

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セッションの後に「目線が上がる」方がいらっしゃいます。 私は目線が上がることには大きな意味があると思っています。 目線が下がってしまうことと気持ちが内向きになってしまうように感じるし、そういう時は自動思考にも飲まれやすくなるように思います。 目線が上がると外の世界に目が向く。 遠くから苦手な人が歩いてくるのにも早い段階で気がついて、進路変更することができるかもしれない(笑) 遠くに好きな芸能人がいることに気がついてサインをもらいに行けるかもしれない(笑) 危険もチャンスも、目線が上がって外の世界に意識が向くからこそキャッチすることができるのだと思います。 誰かと目が合って仲良くなることも下を向いていたらなかなか起こらない。 ご縁も運も、目線と関係していたりするかもしれないな、なんて思うのです。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue