いのちの輪郭


高校生の頃、山岳部に所属していました。

その頃の私は生きていることに疲れ果てていて、それでなんとなく自分の命がかかるような体験を求めていたようなところがあったと思います。

夏の合宿で登った北アルプス。おぼろげな記憶をたどると、燕岳、大天井岳、赤岩岳、槍ヶ岳から徳沢に降りて上高地まで歩いたのだと思います。

初めて森林限界を超えて歩いた稜線。青の底に宇宙の黒を感じるような空の色。

全てがむき出しで逃げ場もなく自然と向き合わざるを得ない。

滑落の危険、落雷の危険、暑さや寒さ。危険に晒されれば「怖い」と感じる。そう感じる自分はやっぱり生きたいのだな、と自分の心よりも身体からやってくるものを信頼しようと思った。

身一つで歩き切るしかない山歩きは、生きていることに疲れていた私の命の輪郭をくっきりと浮かび上がらせてくれました。

山の朝は早い。

2時に起床して、3時に朝食、4時にはテントを畳んで出発する。

起床してテントを出ると頭上に満天の星、天の川。

出発する頃には雲海が広がって、やがて朝日が昇ってくる。

大きな大きな宇宙というシステムの一部としての私。

昼間道端で死んでいた野ネズミやミミズ、家族で歩き回っていた雷鳥と同じように、私もただその一部としてここにあるのだと知りました。

とても壮大で、同時にとてもちっぽけな「私」というもの。生き物はみんなそういう側面を持っている。

あのとき山で感じた美しさは私が人の身体を見るときの原点のひとつ。

安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす






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