自己紹介12

yieldで改善が見込めるものに医療処置によるダメージがある事は聞いていましたが、実際に自分が手術の後にセッションを受けてみると、身体が警戒モードから抜けられない状態になり、それによって姿勢の変化や可動域や呼吸の制限がかかっていたのだなという事がわかりました。

『2019年10月15日(術後2週間弱)

田畑さんのセッションへ。

yieldの位置決めを5箇所くらいとって細かく聞いてくださったので、間合いソムリエみたくスタート。今まですぽっとはまる感覚がある位置は強い反応とセットなのかなと思っていたけど、今日は反応は強いけどすぽっと感はない場所があって、もしかして別々のものなんだろうかと思いました。すぽっと感ある場所は何か不思議な感覚があるんだけど、うまく言葉にできない。そして今日はすぽっとスポットが2箇所あって、得られる感覚がそれぞれ違っていました。不思議。

手術から交感神経優位な感じが続いている気がしていて、昨日のWSでも全然ウトウトしなかったのですが、今日は7割くらいの時間ムニャムニャしていました。

最初、右脚はタッチの誘導に抵抗していて、そのうち素直に付いていくようになったなあと思ったら、時々座り込み始めたり逃げ出そうとしたり、お散歩の最中に座り込み始める犬みたいだなと思って眺めているうちにムニャムニャ…。

田畑さんが右の肋骨から手を離したら、明かりが灯るようにそこに呼吸が入って外側に広がりはじめ、反対の左肋骨は呼吸が暗く下方向に沈んで行ったのが面白かった。手術をした側の二の腕付近を広げるようなタッチを受けている時に右耳が、新幹線がトンネルに入った時みたいになったので、身体の奴大変な思いしたんだなあと改めて労わりたい気持ちになったりしました(残念ながら労わる術が手持ちに少ないが)。

最後のほうはムニャムニャしながら、水彩みたいなトーンの紫とピンクと水色を見ていて、水平方向の広がりや黒い影で、何となく夕方の海かなあと思っていました。静かで広がりがあって、穏やか。

それから今日はムニャムニャしている時に、実は凄く色々感じているんだなあと思いました。身体の感覚的には凄く色々感じてるんだけど、言葉が介入しないとそのまま流れていっちゃって、次の瞬間には別の感覚が入ってくるので覚えていられない。言葉にはできない。無意識というのは知覚不能なものを指すと思っていたけど、深さによっては知覚はしてるけど言語化不能っていうのもあるのかもなあと思ったりしました(すぽっとスポットの言葉にできないは当てはまる言葉を見つけられないって意味の言語化不能なんだけど、こっちのは、頑張れば近い言葉を見つけられそう、でもそれをする為には感覚の領域から出てこないといけないっていう感じ)。

施術後はいつも通り寝ぼけていていまいち違いを言語化しにくかったけど、帰り道に、視野が広くなっていること、しっかりしたウエストの上に胸郭がいいバランスでのる事で胸が開いて心身ともに安定して立てている事に気がつきました。術後胸を開いて立とうとしていたけど、そうじゃなかったのかと納得。

腕の可動域もまた少し(今回は前上方向に)広がって、快適になりました。感謝です。』

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