自己紹介13

 さて、これで完結です。

当初メンタルフォローのつもりでお願いした若尾さんのSEですが、空間を使って進めてくださって、自己認識や認知回路と空間のリンクを発見するような事が沢山ありました。

『2019年11月28日

こないだSEのセッションで出てきた上方向の空間、なんか今までと違うなあと思っていたんだけど、なんとなくわかった。

今まで感じてた上方向って、空を見上げるみたいな、前上方だった気がするんだけど、こないだの上方向は頭のてっぺんからの上方向だったんだなあと思う。

なんかこれがあると位置が定まるというか、「ここ」って感じが強くなるっぽい。

それって水平方向の「あっち」と「こっち」、「あそこ」と「ここ」みたいな、二項対立というか、相対的な感覚の次元と違う次元が入ってくるからなのかなあ?

2次元から3次元へ、みたいな?

空間て面白いな。』

そして、化学療法中、たまたま体調がよい時期だったので参加した田畑さんのyieldのWS。プラクティショナー役をしていた時に場に感じた穏やかで満たされた感覚。他者と一緒にいて(他者がいるからこそ)こんなにも深く満たされる事があるのだという事を初めて感じました。この時の気配はずっと私の中に残っていて、yieldのプラクティショナーになるにあたって原点になっている感覚です。

『2020年1月13日

田畑さんの「振動を通じて空間知覚に影響を与える」というWSに行ってきました。 

・受け手

・安全な場を提供するアンカー役

・音叉を使うプラクティショナー役

の3人でワークするという、初めてやる形でした。

最初は受け手役。音叉で振動が広がっていくと、小さな粒が無数にある感覚が出てきました。その粒々の中の生きのいいやつがあちこちに向かってぴょこぴょこ動いている感じと暖かくなるような感覚がリンクしてそうな感じがあったり、粒々が流れていくような感じで爪先から手の指先まで繋がりがでてきたり。粒々感が消えた場所には微かな響きが残ってほんのり明るい空っぽな空間がある感じがしました。最後にそれが腕にあったのだけど、背景がない絵みたいに、腕だけがそこにある感じ。触れているはずのマッサージテーブルがない。腕の中身もない感じ。起き上がってみたら、内蔵がない、腹腔が空っぽな感じと微妙に残る振動で、快適なんだけど少し心許ないような感じがしました。空間の感覚は、とても広い屋上の上に置いてある箱(部屋)の中にいるみたいな感じで、広い空間の中感が強すぎて部屋にいる感にフォーカスするのが少し大変でした。

この感覚で次はアンカー役。

割とすんなり入れたけれど、プラクティショナー役の方が戸惑った時にフォローしてたら、自分もざわざわして落ち着きを失っているのを感じたので、一旦そのざわざわから離れて静寂の気配に意識を向けるようにしました。落ち着いてきたなあと感じたら、場にいる方々みんな落ち着いてきたように見えたのが面白かった。それから、受け手の方の身体の中に立体的で存在感がある感じの場所とそうでない場所があるように見えて、自分だったら立体的じゃない場所に音叉を置いてみたく感じるなあと思いました。

そしてプラクティショナー役。

何となく足元を大事にした方が良さそうだなと思ったし、待つ時間を長めに取ってゆっくり進めたいなと思いながらスタート。いくつかの場所に音叉を置いて長めにyieldしてたら、受け手の方の呼吸が落ち着いてきて眠たそうになってきました。ゆっくり休ませてあげたいなあと思ったから、寝息が聞こえ出してしばらくしてフィードバック貰うのをやめて、安らいでいる気配を楽しみながら詰まって見える場所や存在感薄いところに音叉を当ててみていました。そしたらフッと「誰かに見守られて昼寝していたら、その人の気配が消えて寂しくなった」みたいな感覚がしました。それにつれて、あの辺に音叉をあててあげたい(あてて欲しい、あてて貰えたら安心できそう)みたいな感覚がしました。いやな感覚とは思わないけど、自分と相手が混じってしまってるような気がする。大丈夫かなあ。とりあえず「寂しさ」からは離れて「あててあげたい、あてて欲しい」に従ってみました。音が聞こえない程度に離れた耳の側で音叉を鳴らして「いるよ」って伝えてみたり、鳩尾の裏側にあててみたり。本当は何となく、音叉より手のひらを置いてみたいような気もしたんだけど、今回の趣旨からは外れちゃいそうだからそれはなしにして。

ふと見たらアンカー役の方が立ったまま寝てた(笑)フフッとなったのですが、自分の意識はクリアだったので、保育園のお昼寝部屋みたいな雰囲気を楽しみました。

人が安らいでいるところに一緒にいるのって、とても心地いいなあ。これはセッション受けている時にはない感覚で、WSの大きな楽しみだなあと思います。

何だか不思議な嬉しさを感じたWSでした。』

化学療法が終わって体調の回復を待ちながら、「ボディーワーカーになりたい」と感じて今に至ります。

思えばパントマイムを習っていた頃から「大好きな身体の事を仕事にできたらいいな」という思いはありましたが、自信がなくて踏み切れずにいたのだなあと思います。病を得た事で「人間が生きる時間には限りがあり、その限られた時間を何に使うかということがどう生きるかという事なのだな」という事がやっと肚の底から理解できて前に進むことができました。また、私はこの療養生活を「これからどのように生きていきたいのかを決める時間」として過ごすことができたのはyieldやSEのサポートがとても大きかったと感じています。

かつて私が受け取ったように、セッションを受けてくださる方がご自身の身体と繋がり直して前に進んでゆかれるためのお手伝いができたら何よりの喜びです。

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