サッカード・ディスプレイ



博物館で「サッカード・ディスプレイ」というものを見たことがあります。

説明書きには

『人間は、無意識のうちに、自分の見たいと思う方向に眼を素早く動かしています。この眼の動きは「サッカード」と呼ばれます。この眼が動く一瞬の間に一列の光を高速に点滅させると、光列が網膜の上で面になって、二次元の絵が現れます。このように、知覚の仕組みと先端技術が結びつくことで、私たちの感覚の世界は広がっていきます。キョロキョロと眼を動かすと見えてくるディスプレイ。』

と書かれていました。

どういうものかというと、普通に見ると光る棒なのですが、ふとした瞬間にその棒から横に絵が飛び出して見えるのです。「無意識の眼の動き」というのが大事みたいで「あれ?絵が見えた?」と棒を凝視してしまうと見えなくなって、あまり意識的に見ていない時にふっと見える。だからどうしても絵が意識の真ん中には入ってこなくて、見えてるし、なんとなくわかっているのに何の絵かを見極めきれない(凝視できないので)…という不思議な見え方のディスプレイでした。

感覚にもこういうのがあるなと思います。凝視してそれが何なのかを見極めようとすると見えなくなってしまって、ただ何となく眺めていると「あるな~」っていうことがわかる。

この「意識に入ってくるけれど意志的に見ようとすると見えない」感覚はセッションしていても出てくるのですが、「ただ何となく眺める」には身体の落ち着きが必要になってくる感じがしています。身体が興奮した状態では交感神経優位になって視野は自動的に一点集中の凝視モードになってしまう。そうすると「ふんわりと眺める」ということができなくなって見えなくなってしまう。

この相反する感じも、感覚の面白いところだなあと思います。




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