感覚を使う






先日yieldのWSの中で「いい間合いの場所は自分の行動を制限される感覚がないのだな」と感じたこと。柴田先生のセッションで感じた「人との関係の中での研ぎ澄まされたリラックスの感覚」。それらの感覚がうまく消化されて身についてきたのかなと思うのですが、ここ数日人と接する場面でこの2つに通じるような感覚が出てくることが何度かありました。相手を縛らない、自分も自由な感覚の中から出ないようにしてコミュニケーションすると、少し踏み込んだ話をする時にも軽やかに話ができるのだなあと感じました。

これは自分がパントマイムや武術も含め、色々なジャンルのことを身体感覚にフォーカスして学んできた経験からの感想ですが、形ではなく身体感覚にフォーカスして何かを経験することの良さというのは、その感覚を見た目が全然違う物事に適用できることにあるような気がします。あるいは、身体が勝手に適用してくれることもあるかもしれません。

パントマイムで得た感覚を武術や施術に、武術で学んだ感覚を施術やパントマイムに、施術で身に着けた感覚を武術やパントマイムに。全く違うことをしていても、使い方が違うだけで同じ感覚をベースにしているということがしばしばありました。

最近yieldのセッションの中に、受け手の方に間合いでの感覚の違いを感じてもらうようなことを入れるようにしているのですが、感覚として知ることで日常の中でもそれに気が付いて頂けたら、いつもと違う風景が立ち上がってくるかもしれない、と思うのです。

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