わかる



昔数学者の森田真生さんの「数学の演奏会」という講演を聞きに行ったとき、森田さんが「わかる」ということについて面白いことをおっしゃっていました。

「わかる」とは何かと考えると、2種類ある。ひとつは「自己と対象を切り離し、二項対立にし、客観的に観察分析してわかる」。もうひとつは「対象を真似て同一化することでわかる」。

そして、西洋の数学や科学は、ひとつめの「わかる」なのだと。

身体での「わかる」はふたつめの「わかる」だなあと思います。

身体感覚を探求していくとどうしても科学からはみ出してしまう部分が出てくると感じますが、それは必然なのかもしれません。


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