自信



怖がりで自信がなかった私は(今も自信にあふれているわけではないけれど)自分の身体や感覚を信じることを通じて自信を育んできたんだろうなあと思います。

「自分を信じる」というけれど、「自分」というものが存在しているというよりも「感覚」があるだけなんじゃないかなあ。

ただ感じてみる。その感覚が縁取るものが「自分」。

壺の本質は陶器に囲まれた空間にあるというけれど、「自分」というのはその空間みたいなもの。

「寒くなってくると人恋しく感じる。」

「お天気のいい日に柔らかい風に包まれて昼寝をすると満たされて幸せな気持ちになる。」

それが一般的に見てネガティブであれポジティブであれ奇妙であれ、そのように感じたのだということを大切にすること。親友の話を聴くときみたいに。

感覚を使って身体を操作するだけでなく、そのベースに自分の身体を信頼して寛いでいられる感覚があるということ。

そういう感覚が根付くにつれ「私は誰のためでもなく、私のために生きてもいいんだ」ということが腑に落ちるようになりました。自分のために生きることと、誰かの役に立てるということ、周囲と調和して生きることは矛盾しない。

むしろ深い調和というのは自分への信頼なくして成立しないのだと思います。

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