水路
感覚を学ぶのって、ちょっと水路を作るのに似ているなと思います。
一番最初は何もないところに浅い溝を掘るような感じ。
私はこの段階では先生のお手本を集中して見たり、先生の作ってくれる場にいることがとても助けになるような感じがしています。「稽古場ではできたのに帰ってきて一人で稽古したらできない」という事ってジャンル問わず凄く多くて、多分場を通じて先生から発生した基礎能力のおすそ分けで一時的にできるようになっているのだと思います。
何度も場を共にすることでちょっとずつ溝を深くしていくと、まぐれでもその溝に水が流れる頻度が上がってくる。
ちゃんとそれが水路になったら自動的にそっちに水が流れるようになるのだけれど、それまでは先生や場の力を借りて(そこと少し距離をとって自分で再現してみることも織り交ぜながら)ちょっとずつちょっとずつ、溝を水路に育てていく。
そこそこの年数生きているとどうしても生き方ってパターン化してくるところがありますが、そういうパターンの書き換えにもこういう感じのところがあるような気がします。
同じパターンの中では同じようなイベントばかりが起きてしまうから、たまにパターンを見直してみると違った風景が見えてくる。
せっかくだから、与えられた時間の中で色々な風景を見て「ああ、面白かった」と思って終わりたいなと思うのです。
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