わからない



「わからない」を大事にするといいのだなあということを最近感じます。

15年前にパントマイムを始めた頃、私は「感じる」という事が全然わからなくて、悩んだ末に「片手を冷水で冷やし、もう片手をお湯で暖めて、手のひらを合わせたときに冷たいを感じるか温かいを感じるか」っていう事をやってみて、「これが感じるなのか。思ってたのとちょっと違うけど!」と思っていました。

15年身体感覚を探求し続けてきて、それをどう扱えばいいのかということは以前よりもずっと上手にはなったけれど、やっぱり「わかった」とは思えない。

でもきっと、「わからない」ので15年飽きもせずに「感じる」を探求し続けてこられたのだろうなあと思うし、15年かけて培ってきたものはゆっくりであっても15年分の成長をもたらしているのだなあと感じます。

セッションの中で出てくる色々な感覚もきっと無理にわからなくてもよくて、ただ経験として持っておくとある時に不意に「あ!」となったりします。わからないと思ったときは、経験が自分の中に染み込んでいって再び湧いてくるのを待つような感じで置いておいて頂くのも楽しむコツなのかもしれません。

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