ジャッジしない身体



身体感覚の稽古をしていると、身体が整ってこないと感じられない(例えば、神経が行き届かなくて動かせない、動かせないから感覚が得られないという感じとか)ということがあります。

だから「神経が行き届いている」「感覚がある」ということは身体とのコンタクトという意味ではとても大切。

そんな事があるので「上達」という事を考えて物事に向き合おうとするとどうしても「もっと目当てのものを感じたい、感じなければ」という気持ちが出てきてしまいますが、微細な感覚はこの「見よう」とする意識が逆に邪魔になって見えなくなってしまうこともある。

夜空の微かな星を、なんとなく眺めれば「ある」とわかるのに、「本当にあるのだろうか?」と思いながら凝視すると見えなくなるのに似ているなあと思います。

逆説的なのだけれど、私は最近、感覚を感じられるのが「良い」「凄い」事で、感覚が意識にのぼらない事が「悪い」「ダメ」な事だというジャッジの感覚を少し手放せる体験があって、それから拾える感覚が増えた感じがしています。きっと精神的な成長というだけでなく「ジャッジせずにいられる身体になった」という事でもあるのでしょう。

短期的な変化も面白いけれど、私は時間をかけて育んだ自分の身体との信頼関係が生きることを豊かにしてくれていると感じているので、セッションを通じてそんな事もお伝えできたらいいなあと考えています。

コメント

このブログの人気の投稿

自己紹介①

セッションについて

身体との関係性を結びなおす