質の知覚

 


ここのところWSやセミナーなどが連続していました。

技術的な事とも繋がってくるのだけれど、学びの場で感じるのは「質」ということの大切さです。

間合いの取り方にしても触れ方にしても所作のリズムにしても「質」って大事だなあと。どんな変化が引き出されるのかを質が左右してるようなところってあるように見えるし、もっと言えば質を知覚すること自体が人を満足させるところがあるように思えます。

ミヒャエル・エンデという作家が質についてこんなことを書いています。

『私たちは、しょっちゅういろいろな物事について、これは良いとか悪いとか、あれは悪い、とか口にします。いい、悪い、というのは「質」のことですよね。それ、いったい何ですか?「質」を言葉で言い換えられますか?・・・でもそれを教えることは、できるのです。すぐれた芸術、すぐれた文学、すぐれた音楽・・・これにふれて、ふれて、ふれぬくことによって「質」の知覚が生まれます。「質」と「質」との微妙な差異を感じ分ける力も、人間のなかに目覚めさせ、みがきあげることができます。・・・』

身体感覚を感じること。身体と繋がること。そして、それをどんな風に自分の中に収めていくのか。

それをしていく過程で、自ずと自分の中に育ってゆくものがあるでしょう。それそのものを目的にはできないし、しないほうがいいのかもしれないのですが、生き物にとって大切なものなのではないかと感じます。そして、私がある種のセッションをアートだと感じるのはそういうところなのではないかなと思います。

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