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セッションについて

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  セッションについて 外から決められた「正しい形」にあてはめなくても、身体には自らバランスを探して適応していく力があります。 セッションでは間合いと軽いタッチにより心身を深いリラックスに導き、身体の内側からの変化を促します。 ☆場所:神奈川県川崎市 溝の口、登戸、向ヶ丘遊園よりバス(ご予約時にお知らせ致します)。駐車場はありません。近隣の駐車場をご利用ください。 ☆営業日:対面セッション 火曜日〜土曜日(祝日除く)10時~17時 ※オンライン・遠隔セッションについては21時頃まで可能です。 ※対面・オンライン・遠隔ともに上記以外の曜日についても調整可能な場合がございます。ご相談ください。 ☆料金(2021.9.16より) ・対面セッション 10000円/1回(60分程度)  ・遠隔セッション 5000円/1回(20分~30分程度。お身体の反応に応じて前後します) ・Yielding embodiment3シリーズ/3回(60分程度/1回) 29000円 ※Yielding embodimentは3回で全体(背面、側面、腹面)にyieldの動きを引き出しますが、1回でお受けいただいても効果は出ます。また逆に3回以上お受けいただいてyieldを深めていただくこともできます。 ※価格については随時見直しをさせていただきます。 ※お時間はあくまで目安です。 お問い合わせ・ご予約はこちらまで kai.mabuchi@yielding-embodiment.com

high plataeu

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お気に入りの丘の上で景色を眺めながらふと、何年か前に感じていた感覚のことを思い出していました。 抗がん剤の治療と重なって起こったコロナ禍。自分の死を身近に感じたことと世界的な不安の中でなぜか私の感覚は真逆に触れてしまって、自分の中心から深い静寂と安心の感覚がわき出てきた。 世界は静かで穏やかで、この丘の上から見る景色はまるで余生のような感じがした。 あるいは私はもう死んでしまっていて、死者の目から生きている者たちの営みを美しく愛おしく眺めているようなそんな感じ。 自分がいなくなると世界と私との間に境界がなくなって、空も遠くに見える町や山々も月も、全てが親しくなる。月や空と会話ができそうな。 世界には誰もいない、とも感じた。 この1年くらいそこからずいぶんと離れてしまっていたけれど、丘の上の景色が何を大切にすべきかを思い出させてくれたように思う。 優れているとかいないとか、波動が高いとか低いとか、そういうことは事実としてあるとしてもそこに拘ると見失ってしまう。 誰もいない世界には美はあっても優劣はない。いまここに現れている平凡でありふれたことたち、窓の外の電車の音や郵便配達のバイクの音、街に漂う夕暮れの気配の中に深い懐かしさや美しさが現れて、そういう質感を愛おしく感じられること、そのことになによりも満たされるのだと知ること。 私にとってゆだねるということの本当の価値は、あの静寂と美の世界への通路になっているということ。 人の真ん中は空で、そこは空でありながら一番満ちている。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

たけのこ日記(セッションの体験記)

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のりさんがブログにセッションの体験記を書いてくださいました。 たけのこ日記 私がのりさんのマインドフルネスの先生、 ことりさん と対談をさせていただいたことからyieldに興味を持ってくださって、ポンポン!と良いタイミングで受けに来てくださいました。とても豊かに受け取って頂いて嬉しいです。 のりさんが書いてくださっている「こうしてみよう」とか「あれ?こんなこと感じている」という気づきも整っていく力も、全部のりさんの内側から出てくるもの、もともと持っている力です。 私はそれにのりさんが気づけるような場を作ることやきっかけをお手伝いするだけ。 yieldは何もせずに待つ時間が長く、タッチもソフトで必要最小限です。 だからこそ「誰かが与えてくれたもの」ではなく、内側から湧き出てくる「自分の力」を観察できる。そこに大きな価値があると信じています。 お越しくださってありがとうございました! ご興味持ってくださった方はぜひ体験しに来てくださいね。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

本音

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自分の欲求、いやなこと、ここちよさ、ここちわるさ。それが自分の本音。 他者や社会と生きていくうえでの調整(たてまえ)は必要だとしても、本音を、自分を見失ってしまうと苦しくなってしまう。 そんな自分の感覚、自分の本音を大切にすることが自分を愛することなんじゃないかなと思う。 自分の本音を感じようとするとき、頭や身体にしみついてしまった過去のパターンがノイズになってくることがある、と思う。 ノイズは本音ではない。 それしか聴き取れないうちは本音として認識されるけど(だってそれしか聞こえないから)本音ではない。 他者と帳尻合わせようとしてその感覚を「いけないこと」「おかしなこと」とジャッジしてなかったことにしたり否定したりしてしまうけれど「そう感じてるんだなあ~」って感じることを許しておくと拗らせずに済むなあと思います。 自分自身に対してオープンであることってとっても大事なんだと思う。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

パンドラの箱

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何かに腹を立てるとかイライラするとかするとき、その陰には感じたくなくて、あるいは感じることを禁じて自分自身から隠しているものがある場合があるんだなあと思う。 その感じないようにしてきたもの、感じることを禁じてきたものに向かい合ってみると、その底には「願い」があったりする。 パンドラの箱を開けるように闇をかきわけて、そこに眠っている願いをひとつひとつ救い上げて取り戻していくと物事の見え方が少しずつ変わっていく。 何が好きで、何が嫌いか。何が心地よくて何が不快か。 心でも身体でも、「感じる」ってことが人に与えているもの。 何を、どんな風に、どんな層で感じるのか、っていうこと。 感覚をどう扱うのかということ。 人って本当に不思議で面白い。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

満ちる

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自分自身の中にくつろいで私が私であることに満足しているとき、幸福だなあと感じる。 何もなくても満たされるというときがあり、何をしても満たされないというときがあり。 満たされるために何かになろうとするよりも先に、まずは満ちた自分を感じてみるところからはじめてみたらよいのかもしれません。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

自分を生きる

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  ずっと「なんでこんなに頑張ってるのに北斗神拳打てないんだろう…」ってうしろめたくてたまらなかったんだけど、不意に気がついてしまいました。 丸い顔。丸いお腹。短い手足…。 あー!!! 私ドラえもんだったー!! なんか頭身違うなってずっと思ってたんだよね。 いいじゃない。北斗神拳打てなくても。四次元ポケットがあるじゃない。 私の世界にはそもそもモヒカン肩パッド出てこないし。どら焼き美味しいし。 人それぞれ全然別の物語を生きていて、自分の物語からはみ出してはなかなか力を発揮することはできないなあと感じます。 そして自分がどんな物語を生きているのかを知るヒントは何をどう感じるか、身体感覚にあるように思ったりするのです。

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「結果として不調の改善につながることがありますが、治療を目的とはしていません」 HPにも書かせていただいている言葉です。 じゃあyieldが提供していることは何なのか、ということですが、私自身がセッションを受け続けてきた経験からyieldは変容のための技法でもあると考えています。 「治療」というとある枠組み(身体観)の中で、不足を補い余剰を減らす、というような「元の状態に戻す」というような意味合いがあるように感じます。 一方「変容」というと枠組み(身体観)そのものが変化するようなイメージがあります。 枠組みが変化してしまうと、それまで問題だと思っていたものが問題ではなくなる。 別の文脈がそこに現れるからです。 (治療的な意味合いでの変化が起こらない、というわけではありません) 青虫が蝶になるときは蛹の中で身体の流動性を増加させますが、yieldも身体の流動性を扱う技法です。 https://www.kodomonokagaku.com/read/hatena/5111/ 蝶は蜜を吸い空を飛ぶことができるけれど、地を這うことや葉っぱを食べることはできません。変容の先に、世界がどんな風に映るのか。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue