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余白のちから

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人は経験をひとつひとつ辿ることでしか成長できないのだなあと感じます。 楽しい経験であれ苦しい経験であれ、ひとつひとつの経験をじっくり感じて味わう事ができると、栄養として自分の中に沁みわたってゆくような感じがします。 「切羽詰まる」という経験自体もとても良い経験になると思うけれど、いつもいつも張りつめていて味わう余裕がないと、段々と経験が立体感を失って「こなす」だけのものになってしまったりする。 経験からもたらされる感覚が展開できるだけの余白を大切にしたい。 余白、スペース、間。 心理的なものであり、身体的なものであり、空間的なものであり、時間的なものでもある。 不思議なものだな、と思います。 yieldで扱っている「間」「余白」「スペース」。 やわらかくて捉えどころがなくて、けれどもとても力強いもの。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Yielding Embodiment Orchestration Resonance Blue

プロセス

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  ボディーワーカーは「プロセス」という言葉をよく使います。 私には長いことこの言葉の意味がよくわからなかったのですが、やっと最近少し腑に落ちました。 yieldセッションを受けると多くの場合構造の変化が起こります。 でもそれは、いわゆる「良い」変化とは限らない。 左右のバランスの差がむしろ目立つようになったりすることも起こります。 そんな時でも多くの場合受けてくださった方は「身体が楽になった」感覚を得るようです。 それは「悪い」変化なのでしょうか? 7月にyieldのデモセッションを受けて出てきた、動きの起点が尾骨であるような感覚。それによって私は 首が前に出ない姿勢を理解し、肚と頭が繋がる感覚 を得ることができました。 でも思い返せばその前に 「背中が丸くなる感覚」 を得たセッションがありました。一時的に猫背のような姿勢になったし、それゆえに物事を背負い込む心身の構えが強化されたかもしれないと思っているのですが、この感覚・姿勢は私から「背筋を伸ばさなければいけない」という思い込みを外して「自分の心地よい姿勢に身を任せてよいのだ」ということを教えてくれました。 恐らく私が「首が前に出ない姿勢」「肚と頭が繋がる感覚」を得るには、一旦「背中が丸くなる感覚」を得て「自分の心地よさを尊重する」という事を学ぶ必要があったのだと思います。 何か達成するべきゴールに一直線に向かう事が「良い」ことなのではない。 何かを経由して、そこで学ぶべきこと、体験すべきことを得たその先に次の変容が待っている。 人生の最後の日まで続くそんな営み。 「プロセス」と呼ばれるそれをたどって私は、どんな風景を見ることができるだろう?

体験記12

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田畑さんの空間身体学のWSを通じてご興味を持ってくださった方より、セッションのご感想をいただきました。 最初に経絡のチェックを少しだけ入れさせていただいてからのyieldです。右足、顔、顎などを中心に大きく自己調整をされていたようです。 子供の頃の交通事故に遭われて脚の長さが左右で異なるとのことでしたが、前後写真ではセッション後は踵の支えがしっかりしたために真上に身体が乗るようになったのが確認できます。 タッチはごく軽く触れるだけで、それ以外は心地よい間合いのなかで待つことでyieldを促しただけですが、お身体は持っているポテンシャルの中で自らよいバランスを探していきました。 脚の支えは次回以降のセッションにも繋がっていくため、今後の変化も楽しみです。 『今日のセッションの感想としましては、最初に左足付近に立たれたときに風を感じた時点で今日はよい機会になると感じました。はじめに左半身かり触れるか否かの繊細なタッチにもかかわらず、体が緩むのを感じ右半身との違いがでたのには驚きました。さらに全身がゆるんでいく心地よさに気分も飛んでましたが、踵や足首、足裏、腰の裏に触れてもらうと下半身がしっかりしてよい感じに。最後に立ち上がったときに床に委ねるとはこういう感覚なのかと大変驚きました。 施術も良かったのですが、馬渕さんの穏やかでリラックスした雰囲気が素敵で癒されました。適度に芯の強さも感じられ、そのようなパーソナリティーはイールドが育まれたのでしょうか やはり、ワンオンワンでの良さはWSとは異なります。』

モニターセッションご感想

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構造変化の研究のために募集しているモニターセッションのご感想をいただきました。 3シリーズでのお申込み1回目、背面のyieldを促すセッション、トレーナーの方です。 脚部から始まり全体にyieldが引き出された後、全体が協調してまとまった「コヒーレント」と呼ばれる状態に入られて自己調整が起きていたようです。 3シリーズでのお申込みのため、今後の変化も楽しみです。 『馬渕さん、先日はありがとうございました。 初めてyeildを受けましたが、とても面白かったです。 良い意味で「先生」という感じの威圧感がなく、人見知りの自分が緊張せずに施術を受けられました。 立つ位置によって身体が感じる事が違ったり、身体に出る変化(左足は開く感覚で、右足は下に沈む感覚)が異なっていた事が新鮮でした。 施術の中盤は身体が深くベッドに沈む感覚と供に眠気が来ましたが、終盤にかけて段々意識が鮮明化していき、最終的にはとてもスッキリしました。 立った感覚を施術前と比べると、より地に足がついてるのに身体にスペースが出来て、シャッキっとした感覚があってそれも良かったです。 また来週も宜しくお願い致します 』

棲み分ける

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コロナ禍の下で顕在化してきているように感じる事として「社会の共通認識がバラバラになりつつあるのかな」という事があります。 昔はマスコミだったりアカデミックなものだったりが及ぼす影響がとても大きくて、なかなかそこから外れた価値観というのは持ちずらいし理解もされずらいところがあったような気がします。 でも今はインターネットを見ていると本当に人それぞれ多様なものの捉え方をしていて、「異なる世界観の人とどうやってうまく共存していくのか」というのは大きなテーマになっていきそうだなあと感じます。 先日yieldの創始者の田畑浩良さんが 『安全な拠り所となる足場にyieldするという動きを体現すると、他者を含めた空間との親和性が回復します。 すると楽に共存する感覚が蘇ってきます。 適者生存ではなく、ちょうどいい間合いから生み出される「棲み分ける感覚」は日本人の誇れる、そして得意とするセンスだと思っています』 ということをtweetされていました。 世界観の違う者同士がうまく共存していく方法として「理解し合う」ということだけではなく「棲み分ける」という感覚を使っていくことも大事になってくるのかもしれないなあとふと思いました。 「人と人とのコミュニケーションの中でわかり合って共存する」というだけではなく、その間にある「ここちよい間合いを維持していくことが結果的に棲み分けによる共存関係に繋がっていく」という方法も試してみると面白いかもしれません。

敏感さと安心感

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身体を観察していると、恐れや怒りから敏感になることもあれば、安心して心地よくあることで敏感になることもあるのだという事に気がつきます。 心地よくあるとき、敏感さは「感覚を繊細に味わう」という形であらわれるけれど、恐れや怒りからくる敏感さは感覚の中に入り込めない感じ。身体の反応だけがわっ!ときて、圧倒されてしまう感じ。 感覚をうまく活用するために必要なのは、「安心」なのかもしれません。

yieldの特徴

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  割と広く受け入れられている考えとして「身体は何か介入・操作をしてやることで変化する」というような事があるように思います。 でもyieldセッションをしていると、「安全・安心を感じられる場、身を固めなくても良い場を提供してやれば身体は勝手にその時持っているポテンシャルの中で最良のバランスを探し始める」という事が観察されます。 yieldはゆだねる動き。安全の認識や安心という感覚とリンクしています。安全・安心を感じることでゆだねる動きが出てきて、ゆだねる動きが出てくることで安全・安心な感覚が高まっていきます。 そうやってゆっくりと深まった安全・安心な場の中で、受け手の方の身体が自ら整ってゆく姿はとても美しいものです。 私自身がそうなのですが、他者の意志に敏感なタイプの人は「良くしよう」という術者の意志自体がストレスになることもあり、そのような方にはyieldはよく合うのではないかと思っています。 また、今の日本のような社会的ストレスや不安が高まった状況で、知らず知らずに高まっている緊張を解くことにも適していると思います。 「介入を最小限にする」ことで、受け手の方がご自身の身体に対して信頼を持っていただきやすいのもyieldの良いところです。 対面、オンライン、どちらも可能です。 どうぞお試しください。