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人それぞれ

 何が快適で何が不快なのか、何が幸福で何が不幸なのかっていうのは人によって全然違う。 だから他人の感性に自分の感性を明け渡してしまうと大概自分にとってのいい感じには辿り着けない。 アドバイスや忠告はそれはそれとして聞いて、自分の感性に耳を澄ませた方が良いと思うし自分が誰かにアドバイスする必要があるときは、相手と私はベースの感性もシステムも違うのだという事を出来るだけ念頭においてするようにしています。 身体がいいのは、それぞれがそれぞれの感性でいられるところだと思う。 どんなに立派なものでも、誰かの感性に合わせてしまうのではなくて、ささやかでいいから自分の感性を磨いていくこと。自分が何を感じているのかを拾い上げていくことが楽しく生きていくには早道なのではないでしょうか。

体験記⑧

 体験記⑥を頂いた方から、2回目のオンラインセッションの体験記を頂きました。オンラインでも人によってははっきり目視できるくらい大きな動きが出るのだということ、動きのバリエーションがたくさんあるというのが興味深いセッションでした。 『今日のセッションは、「(皮?を)むく」がテーマのようでした。 今日は、セッション前にヨガをしていたこともあり、もともいつもよりは身体がゆるんでいる感じでした。でも、はじまってすぐに気づいたことは、足先の冷たさと、左股関節硬いな、ということでした。 セッションが進むうちにまず出てきたのは骨盤と肩甲骨を開こうという動きでした。それが胸郭にも広がり、全体的に、みかん?の皮をむくような、そんな動きがうまれてきたようでした。 しばらくするうちに、股関節の前面のほうはゆるんできたのですが、あ、左腰、腰方形筋あたりのかたさは残っているなと思っていると、足をひっぱられるような、もしくは勝手にのばしたくなるような、そんな感じがしたので、その動きにまかせると、特に左足をのばそうという動きと、同時に右上半身をひっぱろうという、対角線上にストレッチしたいような動きが出てきたので、まかせました。 途中でずーんと背骨全体が沈むような感覚もきて、今度は背骨側からも皮をむかれるような感じでした。そして、胸を洗濯機のようにぐるぐると動かしたいような感覚がして、勝手に身体がうずをまきだしたので、その感覚を楽しみました。 最後は、太陽神経叢あたりを中心に皮をむかれているような、そんな感覚を楽しむうちに、あくびがいっぱい出てきて、終わりました。 終わるとすっきり、肩も首もさらにのびて、足もおちつくべきところにうまくおちついた、そんな感じがしました。』

体験記⑥

 オンラインセッションのご感想を頂きました。身体の自己調整能力は凄いなあと嬉しくなるようなセッションでした。ありがとうございました。 「オンラインのセッション、とどんな感じだろうと思っていたのですが、とてもよかったです。 最初は、足先がこんなに冷たかったんだ、ということに気づき、それから恥骨から内腿にかけても少しひんやりしていること、膝から下が、何かの鋳型に入ってるかのような窮屈な感じがすることに気付きました。 しばらくすると、上半身がゆるんできて、肩甲骨、背骨が勝手に動きたくなったようで、動きにまかせました。発芽前の種の中で、もぞもぞと動いている、そんな感じでした。 ひんやりしてた恥骨周辺も、温かいピリピリとした感じのものが集まってきて、内腿から下へと、左右ともに伝わっていった感じでした。 セッション終わった後は、ヨガをしたあとのように、胸が開き、肩が下がり、体がスッキリしました。 ほんとにありがとうございました。」

体験記⑤

 zoomでのオンラインセッションをお受けくださった方から体験記を頂きました。ご自身の身体感覚からでてくるイメージを詳細に読み取って楽しんで頂けて、とても良いセッションになりました。体験記も頂き感謝です。 ご希望あればオンラインセッションも致しますので、ご相談ください。 『 ・一番印象的だったこと 「自分の体の中で心臓が動いている」という感覚を感じたことでした。 特に動悸とかではなく、子供の頃は感じていた感覚で、ずっと忘れていたのですが、感じたら思い出して、それはとても快適で安心な感覚でした。 ・体の感覚と変化 最初に感じた右半身と膝下の縮こまりは、感覚としては「怯え」に近かったのですが、最後はそれらが繋がって、両足で地面にしっかり立っている感覚になりました。色々不安なことも多い昨今、何かと心配したり必要以上に怖がったりしがちで、自分でもどうしたものかと思っていたんだけど、体が繋がったら心も落ち着いた感じがありました。 怯えによって体が縮こまることもあるけれど、体が縮こまることにより怯えが発生することもあるんだろうな、と。 体からこんな風にアプローチすることができるんだ!と感動。 ・感じたエネルギーの流れ 最初に右半身の縮こまりを伝えた後、内側に曲がっているのとは反対側に、ぐーっと大きくゆっくり引っ張られる感覚がありました。その後、両手のひらでぐっぐっと腕を包んで圧されているような感覚で、その後あたたかくなり左右の感覚が均等になっていきました。 脚の縮こまりを伝えた後、前腿から膝の内側に向けて流れるように撫でられている?押されている?感覚がありました。 ・その他 日差しは当たっていなかったと思うけど、目を閉じた瞼の裏が何度かチカチカとしたり、いくつかイメージというか風景のようなものが見えました。具体的でしたが、それが何と結びつくのかは今のところ思い当たりません。 前述した体の縮こまりが、これから来るかもしれない怖いことへの怯え、「未来」だとしたら、こちらのイメージは「過去」の感じがしたんだけど、イメージ自体は嫌な感じじゃなかった。これ何なんだろう、って考えるのが楽しいです。 ・終了後 ものすごく眠くなり、子供と一緒に30分ほど昼寝しました。 とっても楽しかったです! どうもありがとう!! 』

感情

 演じ方って色々な方法があって、触れる事ができたのはほんのはじっこのちょっぴりでしかありませんが、私はパントマイムやお芝居でうまくいっているような時はある動きをしてみたときに身体から感情が出てきて、それを少し離れたところから割とドライな感じで眺めているような感じがしていました。 楽譜を演奏して音が出てそこからメロディが立ち上がってくるのを聴いてるような。 その経験を繰り返していたら少しずつ、感情を身体感覚の一種として扱えるようになってきました。そうすると感情に振り回されにくくなりますし、ちょっと不釣り合いなくらいの強い感情は思い込みやトラウマ的な何かが隠れているのかなと推測がつきやすくなります。 行動するときに、発信ではなく受信で動くこと。長いこと私のテーマですが、色々な恩恵があります。

自分の感覚を信頼するということ

 ちょこっと寄り道。 自分の身体を、自分の感覚を信頼するという事について少し書いてみたいと思います。 身体のことについて学びながらずっと考えていたことのひとつが「主観と客観」です。 パントマイムを始める前の私は主観と客観があったら必ず客観の方が優れていると思っていました。でも、身体感覚というのは完全なる主観です。主観を低いものとして見て疑っていた私は「自分は正しい感覚を得ているのだろうか」「本当に感じているのだろうか、気のせいじゃないか」ということをずっと考えて身体と向き合ってきました。人間には錯覚という、システム上正しく認識できないエラーもあるし、思い込みという色眼鏡からは逃れられません。 でも、錯覚や思い込み含めて、完全に主観的なもの(身体感覚)というのは、自分自身であるともいえるのかもしれません。 私が身体感覚をひとつひとつ納得がいくまで確かめて進んできたのは、自分自身と繋がる道のりだったようにも思います。 身体感覚と自己。随分昔の稽古録でありますが、今振り返って読んでみると当時考えていたことは、既に今ボディーワークをしながら感じていることの予感であるようにも思えます。 そして時々、「自分の感覚を信頼する」という事は「直観」とも関連しているのではないかなあと思ったりもするのです。  『 2011年12月17日 JIDAIさんからも言われるし、自分でも思うけど、マイムやってるときはどちらかというと意識を受身に、最小限にして無意識の方を主体的に働かせるようにしたほうがうまくいくみたい(といっても無意識なので意識的にコントロールできたりはしません。動きを覚えて意識せずにできるようにしておいて、あとは意識の側でその動きを感知していく感じ)。 最近知ったのですが、スポーツで「インナーゲーム」と呼ばれるものがあって、それとこれは良く似てる・・・っていうか多分同じものだと思う。ウィキを貼ろうとしたらリンクが上手く貼れなかったので、コピペ。ウィキで検索するともうちょっと詳しく見られます。 ①インナーゲーム(inner game)とは、勝負において、競技者の外側の世界で実際に行われるアウターゲーム(outer game)に対して、競技者の心中で行われるもうひとつの勝負のこと。テニスコーチのW.ティモシー・ガルウェイ(W. Timothy Gallwey)が、レ...

静寂

イメージ
  思考がぐるぐるしちゃうときとか、目の前にいない誰かと脳内会議や脳内バトルしてるときとか、エンドレスリピートで歌や音楽が脳内再生されてるようなとき。 そういうのを雑念といい(瞑想してないときでもそれはオートで流れている)、そういう脳内自動出力は外の世界からの入力を妨げる。視野がなくなり、音の響きが聞こえなくなり、空間がなくなる。 この脳内自動出力が減った状態が静寂なんだと思う。静寂というのは無音ではなくて、ひとつのトーン、響きとして知覚される感じがします。 完全な静寂があるのかどうか…というか完全な静寂の中で自己意識が保てるのかどうかは体験したことないからわからないけど。いや、もし自己意識が保てないなら体験してもわからないのかもしれない。

謹賀新年

 あけましておめでとうございます。 年末年始、久々にワークも身体感覚を使う稽古もお休みして過ごしたので食べ物への執着が増してちょっと食べすぎました。 明日からまた体調整えつつ身体感覚で遊んでいきたいなと思っています。 私は運動神経はあまり良くないのですが(スポーツは学生時代にやった登山とさぼってばかりだったオリエンテーリングくらい)自分の身体と遊びながら繋がっていくことがとても好きです。 身体というのは自分にとって一番のパートナーでありメンターでもあると感じます。今年も自分の身体と仲良く楽しくやっていきたいです。 新しい一年がよいものになりますように!