投稿

1月, 2023の投稿を表示しています

縁側

イメージ
古武術の 山口潤先生 の講座に通い始めて10年になります。 関東に越してきてからは稽古会の世話人もさせていただいて、稽古が続けられています。 先日稽古会で「縁側」ということを山口先生が説明してくださって、その感覚を使って崩されにくくするというのを試しました。 対立関係・緊張関係が前提な武術の目線で考えた時『 境界を「線」にせずに、内でもあり外でもありうる空間的なものにしておくのが縁側』だそうです。 心理学で自分と他者の境界線を「バウンダリー」といいますが、バ ウンダリーというのは私には境界線というよりは「持ち場」のように感じられます。そして この「縁側」のような緩衝域、どちらの持ち場にもなりうるようなスペースが自分の感覚の中に持てると、他者とやっていくことが随分楽になるように感じられました。 隣の人の家の晩御飯のメニューにはあれこれ口出しせずに自分の家の晩御飯を美味しく作ることに専念すればいいし、縁側でレシピのやり取りをしてもいい。縁側でコミュニケートするけれど、自分の家の中は自分が采配して決める。親しくない人を上げるのは縁側まで。 武術もまた人と人との関係性で、学ぶことが多いです。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

運動と空間知覚

イメージ
久しぶりにパントマイムのレッスンで身体を隅々まで丁寧に動かしたら、帰り道夜空がダイナミックでした。 空間知覚の力と身体の状態はリンクしていて、運動が空間知覚の力を育てるし、空間知覚が開いてくると身体を動かすこともうまくいきやすいところがあるように感じます。 空間の感覚は、身体が感じている移動可能性なのかもしれないなあと思います。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

経験

イメージ
  自我というのは経験に対する解釈の記憶の集合体なのかもしれないな、と思ったりします。 だから自分を成長させるためには 良い経験ができそうな場に連れて行き、出会う事が良い経験となるような人に会わせてやる事だと思う。 経験から自分の中に動きが生まれてきたら、それに応じてみること。 失敗したり、探ったりしながら。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

想いと身体

イメージ
身体って想いみたいなものによく反応するんだなあと思うことがあります。 今日は猫と遊んでいるところを想像したら身体がぽかぽかしてきました。 そういえば、ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」という本に 『勇気と希望、あるいはその喪失といった情調と、肉体の免疫性の状態のあいだに、どのような関係がひそんでいるのかを知る者は、希望と勇気を一瞬にして失うことがどれほど致命的ということも熟知している』 という言葉が出てきます。ナチス時代の強制収容所に収容されてしまった人達の中で、「クリスマスには家に帰れる だろう」と希望を繋いでいた人はクリスマスを 過ぎると希望を失って死んでいった。それくらい想いは生命力に影響するのだというフランクルの体験からの言葉です。 何を想うと身体が暖かく明るいトーンになるか、色々試してお守りがわりに持っているといいのかもしれません。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

自分なりの

イメージ
  私自身も含めて、多くの人は教育システムの中で「自分なりの感じ方、自分なりの視点をベースにものを考える」ということに制限を身につけてしまっているのだと思います。 「正しい、正しくない」という判断軸そのものすらひとつの見方で、そこから外れてものを感じたり考えたりすること は、困難なこと。 一見そうじゃないように見えて、「自分なりの感性で考えなさい」という師匠の顔色を伺いながら、師匠にとっての正解を探してしまうという罠まで(私は結構長いことコレをやったし、今も自分がそこから抜け切れたとは思っていない)ある始末。 古武術の山口潤先生 @cokalab の一人稽古は そこから抜け出して自分の感性に基づいた思考を始めることを学ぶ大切な場でした。 山口先生はじめ、姉弟子・兄弟子の自由過ぎる感性、そして組織的なヒエラルキーを捨てて自分の興味をひたすら追いかけていく稽古の姿に共鳴して今の私の探求姿勢は出来上がっています。 「稽古を共有するからには共同研究者です」と対等な場を作り育ててくださった山口先生に、尊敬の念を感じています。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

闇の中で

イメージ
ダイアログ・イン・ザ・ダーク「内なる美、ととのう暗闇  五感」に行ってきました。 純度100%の闇に入ると自分の目が視覚情報を求めて必死になっているのがわかる。自分の輪郭も空間の広がりも闇に溶けて、「自己」の位置が曖昧になる。 小さな小石を掬ってざらざらと自分の腕にかけると、小石が当たった点にパチパチとくっきりした「自己」が現れるのが面白くて暫くそれをしていました。 感覚を通じて私は対象との関係を感じていて、それが「私」という存在を浮かび上がらせているんだなあ。 水に触れれば水との関係性との中で立ち上がってくる私。 風に触れられれば風との関係性の中で立ち上がってくる私。 仏教で言われる「縁起」というのはこんな感じを言うのだろうか。 風は闇の中では水と同じように質量を持った確かな存在に感じられる。 見えることで不確かに感じられている存在があるのだということ。 食べ物を食べると消化器の感覚が出てきて、自分の内側のスペースが確かになって正中の感覚が出てきた感じがしたり。 触覚、聴覚、空間感覚、嗅覚、味覚…。色々な感覚を味わう程に身体がはっきりしてきて、最後は見えないのをいいことにゴロゴロしてみたり、腕を回してみたり、身体を動かしてみて自分の位置を感じることを楽しんでいました。 闇の中で感じる感覚はいつもよりも近く親しくて、それも凄くたのしかったなあ。また行きたい。もっと長時間闇の中で過ごしてみたい。

身体感覚と自己

イメージ
朝、ぼんやりしながら牛肉を切っていたら手を切りました。 牛肉と自分の肉の切り心地に差を感じなかったので、切られた方の手の痛みで「あ、切ったかな?」と思ったのですが、痛みを感じなかったら牛肉と自分の肉の区別がつかないんだろうなあ。 「皮膚の内側は自分」という設定が強固に 生まれてくるのは、痛みがあるからなのではないかと思います。以前痛覚を感じない人がいるというのを何かで見たことがあるのだけれど、そういう感覚の人たちの自我の感覚ってどんな風になるのだろうか。 ワンネスの感覚を感じやすかったり、他者との境界、バウンダリーの感覚なんかも違うのだろうか。 身体感覚と自己という意識のあり方って関係が深そうに思います。 安全・安心な感覚の中で自分とつながりなおす Resonance Blue

体現と学び

イメージ
直接会って佇まいに触れる事ほど深い学びはないし、何かを体現している人は一緒にいるだけでも強い共鳴が起こって学ばせていただけるものがあると感じます。 だから強い興味を持ったら、本を読むだけじゃなく会いにいくと良いのではないでしょうか。いつまでもその人が生きてるとは限らないんだし。

謹賀新年2023

イメージ
夜明け前の1番寒い時を耐えて待つ。  やがて刻々と空が明るくなっていって、太陽の気配が近づいてくる。 力強くて眩しい光が顔を出す。 凄いなあ!誰もが星の上にいる! 個人は時代という大きな流れのなかにいるけれど、同時に個人が時代という流れを作っていくんだなあと思います。 全体を感じながら、出会ってくださる方がそれぞれの生を豊かなものにしていくお手伝いができたらと思います。 同じ時代を生きる者として。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。